【まとめ】第7回批評鍋『ゆかいな仏教』

第7回今年最後の批評鍋では、橋爪大三郎,大澤真幸,『ゆかいな仏教』を取り上げました。


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ゲスト
舟木徹男/宗教学
中森弘樹/社会学
レギュラー
浅野直樹
百木 漠/放送コメント担当
大窪善人/司会

話題一覧
10分で本の内容を紹介
・他の仏教本との違い
・仏教への挑発
・本書の主張

参加者からのコメント、論点
・仏教で肉食はOK?
・仏教界への不満(浅野)
・仏教の核心についての物足りなさ(百木)
・悟りの内容がXとして伏せられている(舟木)
・本書の信仰に対する態度について(中森)
・本書の特徴は教義中心に語っているところ(大窪)

信仰と知をめぐって
・社会学者は宗教の信仰の内容に関心を持つのか(中森)
・信仰と知の対立と学問的アプローチ(大窪)
・論理的・合理的に仏教を語ることの功罪(百木、中森、舟木)
・仏教の定義と信仰と知(大窪)

仏教と社会活動との関係
・大澤氏の「まえがき」の前提は半分外れ、だが、半分は当たっている(大窪)
・仏教が現状の日本で積極的な社会的役割を果たしていない?
・仏教の教義に内在する難点(大窪)
・仏教の社会活動はキリスト教など他の宗教の後追い?(舟木)
・仏教と特定秘密保護法問題
・「慈悲」と社会活動との対立(舟木)
・仏教にとって社会活動は逸脱的か?(中森)
・仏教の社会活動のアスペクト 「正法論」(大窪)

そもそも「仏教」とは何なのか
・「仏教にはドグマがない」という主張について
・「輪廻」は仏教のオリジナルではない(大窪)
・何十億年も先に一人程度しか覚れない、と言われて仏教徒は絶望しないのか?
「慈悲」「回向」はオマケ?
・3章以降は仏教の「オタク道」(舟木)
・日本人は仏教を拒絶的に受容してきた(大窪)

仏教は人間を救うか?
・本書は信仰、実存についての要素が弱い(百木)
・人間には「スイッチの切れない欲望」がある(中森)
・「悟り」に魅力を感じるか?(舟木)
・他宗教でも社会学でも悟りは開ける!?(大窪)
・僧伽(サンガ)と大学とのメタフォリカルな類縁性(大窪)
・現代の日本仏教への批判(浅野)
・仏教徒は自己チュー? 利他の問題について
・資本主義と仏教、仏閣ライトアップ問題
・日本仏教の不幸な歴史的経緯

まとめと告知
・課題としての日本仏教論(舟木)
・悟りのアウトソースという発想はできないか(中森)
・対称性の宗教としての仏教(百木)
・やはり仏教界に対する不満はある(浅野)
・幹と枝葉を見分けて原理に立ち戻ることが大事(大窪)

放送では言いきれなかったこと

宗教の話題はタブー?

先月に引き続き、批評鍋を開催しました。今回は批評鍋初の宗教ジャンルの本ということで、私にとっても、とても楽しい回でした。日本では「政治」、「野球」、「宗教」についての話題を公的な場に持ち出すことはタブーだと言われることがあります。その理由は、これらの話題には意見や信条の対立がつきものだからでしょう。もちろん、誰でも対立よりも調和や宥和が成り立つ状態の方がいいにきまっています。しかし、たとえ対立を引き起こしてでも、対話や議論を行なわなければならない場面があることも確かです(たとえば年金制度、遺伝子工学技術の導入の是非、憲法の問題)。また、日常的なコミュニケーションと公共的なコミュニケーションとがその結びつきを見失うとしたら、それは問題だと言われるかもしれません。以前京アカで、普段はなかなかできない、道徳、倫理、宗教について話せる場所を作れたらいいね、という話をしたことがあります。今回はそのはじめの一歩になったかなと思います。

■『ゆかいな仏教』に対する激烈な批判の理由

日本に仏教が伝わったのは今から千数百年も昔だといいます。今日、仏教は日本社会や日本人の精神に広く深く染みわたっているようにみえます。たとえば「縁起」、「四苦八苦」、「挨拶」のように仏教由来の日常語がたくさんあります。また、仏教についての本で広い支持を受けている作家も数多くいます。それから、NHKの「ゆく年くる年」は年末年始の風物詩になっています。その意味では、日本人の多くは仏教についてよく知っている、少なくとも仏教的な考え方に親しんでいると感じているようにみえます。
『ゆかいな仏教』は、出版されるやいなやインターネットに批判まとめサイトが立ち上がるなど激烈な批判に曝されています。これほど批判が集中する書籍も稀でしょう。そうした反応を引き起こした理由のひとつは、そこで語られている仏教観や解釈が、私たちの常識とあまりに違っていたからではないでしょうか。

■「思想の不法侵入」

大澤氏はある誌上で「思想の不法侵入」ということについて書いています。「不法侵入」とは何か? この言葉はもともと思想家 G.ドゥルーズから引かれたもので、人間は、通常の状態では物事を深く考えたりすることを欲しないという直感を前提としています。人間がほんとうに思想的に深く思考するのは、どうしても考えざるを得なくなるような、外的なショックが与えられたときだけだといいます。それを「不法侵入」という言葉で表しています。「不法侵入」は、より深い思考を(拒絶反応を引き起こしながら?)インスパイアする、いわば媒体なのです。
『ゆかいな仏教』は社会学の立場から、基本的な仏教の歴史

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