戸谷洋志さんインタビュー 「どうして哲学カフェやってるんですか?」

千葉と大阪で積極的に哲学カフェを主催しておられる戸谷洋志さん(大阪大学 医学系研究科 医の倫理と公共政策学教室 特別研究員)にインタビューしました。戸谷さんはハンス・ヨーナスの哲学(特にテクノロジー論や生命倫理)を専門に研究しておられ、GACCOHでのヨーナス講座なども担当されていました。京都アカデメイアと目指すところが近いのではないかと思い、戸谷さんが哲学カフェを始めたきっかけ、哲学カフェを通して目指していること、哲学カフェを開くにあたって心がけていること、などをお聞きしました。

――戸谷さんが哲学カフェを始められたきっかけを教えていただけますか。

戸谷:僕が初めて哲学カフェに参加したのは、博士課程の2年目のときでした。知り合いの先生が大学で哲学カフェを開いておられて、それに参加してみて「これは面白い」と思いました。同時に、自分ならばもう少し違ったかたちで哲学カフェを企画できるのではないかと思って、周囲の人の協力を得ながら、少しずつ哲学カフェの運営に携わるようになりました。現在は、西千葉の古本屋ムーンライトブックストアで定期的に哲学カフェを開催しています。同時に、阪大の周辺でもリクエストに応じながら、不定期で哲学カフェを開いています。

――哲学カフェのどのようなところに魅力を感じたのですか?

戸谷:僕は大学院から大阪大学に来たのですが、せっかく新しい場所に来たので、新しい仲間とともに何か勉強会でもやろうと思ったんです。それで最初にハンナ・アーレントの『人間の条件』の読書会をやったんですね。そのときに「活動」の章を読んで深い感銘を受けたんです。私的利害から自由になって、他者の前に「現れ」、仲間と連帯しつつ、その仲間もかけがえのない存在として現れてくるので、何が起こるのかは予測不能である。そしてそこで起こったことは取り返しがつかなくて、だからこそ相手を赦さなければならない。そうしたアーレントの考え方に強い刺激を受けて、自分でもそういうことをやってみたいなと思ったんです。

それで、その後も読書会や勉強会を開催してみたり、ビブリオバトルをやってみたり、院生の立場ながら国際シンポジウムを企画したりと、いろいろと積極的にやっていたんですね。最初のうちは何もかも下手っぴだったんですが、回数を重ねるうちにだんだんコツをつかんできて、企画の仕方とか、司会の技術とか、メディアの使い方とか、少しずつ上手くできるようになってきました。哲学カフェもその延長線上でやっていて、何か「活動」をしたい、そんなことを別にする必要がないことを敢えてしたい、そういう欲望が僕のなかにあるんです。哲学カフェ自体に何か大きな魅力を感じたというよりは、「哲学」と「活動」を結び付けたかったというのが、哲学カフェを始めた理由ですね。

――一般的に言うと、哲学って難しい本をゴリゴリと原書で読んで、それについて抽象的な議論をしている、あるいは論文を書いている、といったイメージが強いです。戸谷さんが自分の研究とは別に哲学カフェを始めようと思ったのは、何か専門の研究だけでは物足りない・満たされないところがあったからなのでしょうか?

戸谷:はっきり言ってしまうと、いわゆる専門的な哲学研究と哲学カフェとは別物だと思います。哲学カフェの議論が専門的な哲学研究を補うとか、それをより発展させるといったことはほとんどありません。そもそもそういうことを期待して哲学カフェをやっているわけではないんです。それよりも、単純に哲学カフェそのものが楽しいから、という理由でやっている側面が強いです。僕にとっては、一種の「遊び」やゲームに近い。

――私も一度、戸谷さんがやっておられる哲学カフェにお邪魔したんですが、できるだけ哲学の専門用語を使わないようにして議論する、というルールが設けられているのが印象的でした。哲学カフェという名称でありながら、具体的な哲学者の名前や、哲学の専門用語が出てこないというのは少し不思議な印象もしたんですが、それはどうしてなのですか?

戸谷:難しい問題ですね。そもそも、日本で統一された哲学カフェのルールみたいなものがあるわけではないんです。僕が哲学カフェをやる際に設けているルールは、(1)発言の際には挙手をすること、(2)他の人の意見を最後まで聞くこと、(3)専門用語をなるべく使わないこと、の三つです。これはカフェフィロが発行している『哲学カフェのつくりかた』という本のなかで一例として挙げられているものなんですね。でも、最近自分のところではこの三つ目のルールは廃止してもいいかもなと思っているんです。というのは、ここでは専門用語はなるべく使ってはならない、というルールがあるということは、参加者の人たちが哲学の専門用語や考え方を理解できないだろうから、それを使わない範囲内でやりましょう、という上から目線の姿勢があるようにも感じてしまうんですよ。

先ほども言ったように、僕自身は、哲学の専門研究と哲学カフェでの議論は基本的に別物だと思っているのですが、必ずしもその二つの間に境界線を設ける必要もなくて、哲学カフェのなかでちゃんと具体的な哲学者や専門用語の説明をしながら議論ができるなら、それはそれで全然いいんですよ。問題なのは、それを誰にでも分かりやすく説明できないことのほうなので。それは専門用語を使う側の試練にもなるはずです。例えば誰かが「それはカントのアンチノミー的に言えば…」みたいなことを言い出した時に、僕がすかさず「それってどういうことですか?」と訊けばいいわけです。進行役がその専門用語を説明させればいいだけのことであって、最初から専門用語を使ってはならない、というルールがあるのも違うのかなという気がしています。

――なるほど、全国的に統一された哲学カフェのルールや進行方法が決まっているわけではなくて、それぞれの哲学カフェによってやり方にも特徴があるんですね。

戸谷:そうですね。そもそも最初に哲学カフェが始まったのは1992年のフランスなんですが、そこでは今の哲学カフェのようなルールは全くなくて、ただ哲学的な議論をするというだけの場所だったんですよ。あとフランスの哲学カフェでは箴言や格言・ことわざなどがテーマになることが多いんです。例えば、「時は金なり」とは何か?とか。そういう言葉をテーマにすることで、自分たちの日常や習俗の延長線上で哲学の議論をするということが多いんですね。それに対して日本の哲学カフェではあまりそういう感じがしなくて、「本当の友達とは何か」とか「愛とは何か」とか「正義とは何か」とか、そういったテーマを意図的に専門的な言葉を用いずに議論するという性格を強く持っているんですね。私も正確には分からないんですが、専門用語を用いずに議論するというルールは、おそらく日本に哲学カフェを導入する際に作られたルールで、日本で市民が対話をするために取り入れられたものという意味合いが強いのだと思います。

――それは面白い違いですね。日本はフランスとは違う、独自の哲学カフェの発展をしてきたということですね。戸谷さんが2016年に開かれた哲学カフェのタイトルを見ると、「愛と恋とそれから情け」「だいっきらい!!」「セコいとは何か?」「前向きってどっち向き?」などユニークなものが多いですね。他に「観光」「アイドル」「壁」「喩えについて」などのものもあります。毎回、哲学カフェのテーマはどうやって決められているのですか?

戸谷:テーマの決め方にはいろんなやり方があると思うんですが、僕の場合は、毎回哲学カフェをやった後に時間がある人に残ってもらって、次回のテーマを決めてもらうことが多いですね。参加者の人に案を出してもらうんです。試行錯誤のうえにそういうやり方に落ち着きました。ちなみにフランスの哲学カフェだと、予めテーマを決めておくのではなく、当日の最初の10分間とかでテーマを決めるんですよ。これは日本の哲学カフェではおそらく無理で、日本だと予めテーマを決めておいたほうがスムーズなんですね。その場で決めようとするとすごく時間がかかってしまうんです。

――毎回テーマを決めずに集まって、最初の10分間で話し合ってテーマを決めるというのはすごいですね。それは確かに日本では難しそうな気がします(笑)

戸谷:もうひとつ言っておくと、フランスに限らずヨーロッパでは箴言や格言などをすごく大事にするんですよ。例えば手紙の始まりや終わりとか、学位論文の冒頭とかに、セネカとかキケロとか、シラーとかゲーテとかの言葉を引用するというのが教養の証明になっていて、そういうものを皆がよく覚えているんですよね。

僕がドイツに留学しているときに印象的だったのは、ドイツ人たちがそういった箴言や格言、有名な詩などについてよく知っているということです。例えばドイツでは国語の時間にゲーテやシラーの詩を暗唱したりするんです。で、ゲーテやシラーの詩について質問すると、すごく長い説明や解釈を聞かせてくれるんですね(笑)それはドイツの教育の成果という面がとても大きいのだと思います。日本人だとそういう共通の教養的な土台ってあまり持っていないし、詩や文学を解釈する授業や訓練ってほとんど受けていないと思うんですよ。その割にディベートの時間を設けようとしたりするんですけど、共通の素養や古典教養などがないと、実はそうした試みも難しいのではないか、と思っています。ヨーロッパだと皆が共有している古典というものがまずあって、そこから引用しながら議論をしていくことができるんですよね。

逆に、日本で哲学カフェをすると、定められたテーマに対して自分はこういう仕方で生活をしている、という風に話をされる方が多いんです。つまり私的な利害に引きずられちゃんですね。例えば「どうして働くのか」というテーマの回だと、私はこういう働き方をしています、という話を各参加者がする。それって、ひとつひとつは否定できないじゃないですか。それでなかなか対話が成立しない、ということはよくあります。皆が自分の生活の自己紹介に終わってしまって、それ以上の抽象的な議論に発展していかないことも多い。そこが日本で哲学カフェをするひとつの難しさではあります。

――共通の土台がないなかで、抽象的なテーマについて議論しようとすると、まずは参加者が自分の体験や生活に引きつけた話をしてしまうというのはどうしてもそうなってしまいそうですよね。フランスと日本にそういった哲学カフェの違いがあるというのは知らなかったので面白いです。では、戸谷さんが哲学カフェを運営するうえで気をつけておられることなどはありますか?

戸谷:哲学カフェの運営の仕方は、運営する人によってそれぞれ異なると思います。大まかに共有されているルールはありますが、厳密に定められている規則などがあるわけではありません。そのなかで個人的に心がけているのは、進行役である僕自身が積極的に議論の交通整理をしたり、参加者に問いかけをしたり、ある程度の方向性を示したりすることです。

哲学カフェの主催者の多くは、進行役(司会者)はできるだけ参加者の議論には介入しない方がいい、そのほうが参加者の間で自由な議論が生まれやすい、という考えを持っていると思います。でも僕はそうじゃないと考えています。進行役の人が身を引いてしまうと、むしろ議論がぼやんとしてしまって、なかなか深まっていかないことが多い。だから僕が進行役を務めるときは、かなり明確に問いを立てるんですね。ある程度、議論の整理をしたり、問いかけをしたりするほうが、参加者の間の積極的な議論を引き出すことに繋がるんじゃないか、と考えています。

――その点、戸谷さんは敢えてファシリテーター(司会者)として、議論の交通整理をしたり、参加者に疑問を投げかけたりするように心がけているということですね。

戸谷:哲学カフェって、そのときのその場所のその参加者の間だけで成立する論理みたいなものが形成されるんですよ。だからあとから考え直すと、これっておかしいよな、という議論もある。でもあのときはなぜか全員がそれで納得していた、みたいなことがしばしば起こるんです。それってやはり哲学カフェが非常に演劇的というか、ある瞬間にだけ立ち現れる必然性のようなものに力が認められている空間だからなんですよね。そこに哲学カフェの面白さがある。でも同時にそれが、哲学カフェがいわゆる「学問」にはなりにくい理由でもあるんですよね。あとから客観的に検証したりはできない。良くも悪くも、哲学カフェの議論は「蓄積」されないんです。

――それは最初におっしゃられていたアーレントの「活動」の議論にも通ずるところですね。戸谷さんは以前、Twitterで「哲学カフェを有用性はないが有意味である空間を創りたい」という旨の発言をしておられたと思うんですが、その真意を聞かせていただけますか?

戸谷:有用性というのは何かの役に立つということですよね。何か外に目的があって、その目的のための手段として役に立つという。それに対して、それをやっていること自体が楽しい・面白いと思えるような空間、何かの役に立つわけではないけれども意味を持っている空間というものを、哲学カフェを通して創り出したいなと考えています。哲学ってもともとはそういうものだったんじゃないかと思うんですよね。でも最近はビジネス雑誌で「ビジネスの役に立つ哲学」といった特集が組まれたりして、哲学のなかにも有用性の原理が入り込んできている。そういう状況のなかで、有用性とは全く関係のない哲学の在り方というものを実践してみたいというのが、僕が哲学カフェをやっている理由です。

――そのTwitterでの発言が印象に残っていたので、その真意を聞けて良かったです戸谷さんにとって、「ああ今日の哲学カフェは上手くいったな」と思えるのって、どういうときなんですか?

戸谷:さっきも言ったように、僕が哲学カフェをしている一番の目的は、現実とは違った論理が通用するような非日常な空間を創りだすこと、その時間・その場所でだけ立ち現れるような議論を生み出すことなんですね。哲学カフェは「遊び」に近いと言いましたが、「遊び」の本質はやはり楽しいことです。そして、楽しいのは「真剣に遊ぶ」から楽しいんですよね。だから参加者が真剣に参加してくれているかどうかというのは、ひとつの重要な指標になりますね。例えば、議論の途中で怒り出す人なんかがいると、僕は結構ときめくんですよ。怒っているとか、むすっとしているとか、そういう態度を取る人がいるのって、その人が議論に真剣に参加してくれているからなので、そういう人がいるとああ上手くいったな、って思いますね。

――なるほど、参加者が議論の途中で怒り出すのは必ずしも悪いことではないんですね。

戸谷:それは、僕が主催してる哲学カフェの大きな特徴だと思います。でも、哲学カフェを主催している他の人からは反対の声もあるかもしれませんね。

――それは面白い特徴ですね。最後に、戸谷さんが今後哲学カフェを実践するなかでやってみたいこととか、目標にしたいことはありますか。

戸谷:僕はこれまで自分独自のやり方で哲学カフェをやってきたんですが、今後は哲学カフェを他の地域で運営している人や同業者と交流したり、意見交換をしたりしていきたいなと思っています。

――また機会があれば京都アカデメイアとも何かコラボしていただければ嬉しいです。今日はありがとうございました。

2016年12月20日(火) 梅田の喫茶店英國屋にてインタビュー。
記事構成担当:百木漠

Jポップで考える哲学 自分を問い直すための15曲 (講談社文庫)

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