7月24日開催 世界に触れる社会学#03「父なき時代」における家族の行方

 
7月24日(金)に世界に触れる社会学#03「父なき時代」における家族の行方 を開催します。

京アカ塾03 家族
 
京都アカデメイア塾「世界に触れる社会学」第3回のテーマは「家族」です。
従来、家族の中で父親が果たす役割は、”切断”や”秩序”、”倫理”などの規範的なカテゴリーにおいて捉えられてきました。しかし、いまやそのような「偉大な父親」というモデルは、どのくらいリアリティのあるものでしょうか。いわゆる「父性の弱体化」が生じた背景にはどのような理由があるのでしょうか。また「父(性)なき時代」における父親の役割としてどのような形が考えられるでしょうか。そして、そのことが与える社会的な影響はどのようなものでしょうか。一緒に考えてみましょう。
 
日時:7月24日(金)、19:00-21:00
場所:京都出町柳 GACCOH/参加費:1,000円
講師:大窪善人
 

7月18日 「やっぱり知りたい!京都学派」 第1回「京都学派MAP」

 
京都アカデメイア塾×GACCOH(やっぱり知りたい!シリーズ)とのコラボ企画、いよいよスタートです!

Kyouyou kyotogakuha main
 

「やっぱり知りたい!」シリーズ第2弾では、日本発の独創的な哲学・思想家集団「京都学派」をご紹介します。

観光地として名高い「哲学の道」の名前の由来となった、日本を代表する哲学者である西田幾多郎(1870-1945)。彼はその主著『善の研究』によって学術界を越えた幅広い読者を得、全国から若き哲学徒たちがその高名を慕って京都大学の門を叩くほどになりました。その後、西田の周囲に集まった同僚・後輩・弟子たち等は、いつしか「京都学派」と呼ばれ大きな存在感を示すようになったのです。

第1回「京都学派MAP」では、西田幾多郎、田辺元、三木清といった中心人物たちを紹介しながら、何故、どのように、この京都の地で空前絶後の思想ムーブメントが巻き起こったのかを見ていこうと思います。第2回「京都学派と哲学」では、西田が展開した「無の哲学」がどのような影響を与えていったかを、田辺元の「種の論理」や、「京都学派」が戦後大きな批判に遭うきっかけとなる「世界史の哲学」などを中心に解説していきます。知識人と戦争、哲学と政治という普遍的な問題がここでも問い直されます。そして第3回「京都学派と現在」では、戦後空間においてタブー視にも近い扱いを受けてきた「京都学派」の哲学はどのような現代的意義を持つのかについて考えていこうと思います。(ナビゲーター:中島啓勝)

第1回「京都学派MAP」
日時:7月18日(土)19~21時
場所:京都出町柳 GACCOH(京阪電車「出町柳駅」2番出口より徒歩5分)
講師:中島啓勝
参加費:各回1,000円

詳細はGACCOH HPにアップされていますのでご覧ください。
http://www.gaccoh.jp/?p=6583
 

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伊丹敬之、加護野忠男『ゼミナール 経営学入門』第4章演習問題答案例

京都アカデメイア塾のクラスのために作成した、伊丹敬之、加護野忠男『ゼミナール 経営学入門』第4章演習問題答案例です。

 

第4章 多角化と事業ポートフォリオ
1.
 ビール会社が工場跡地を使って不動産事業へ多角化する場合には、範囲の経済の源泉は遊休資産の活用にある。よってその効果のタイプは相補効果であり、遊休資産の使用には限りがあるのでさらなる多角化への発展性は低い。
 ビール生産に必要な酵母の技術を使って医薬品・バイオ事業へ多角化する場合には、範囲の経済の源泉は技術という資産の活用にある。技術という資産は同時にいくらでも活用できるのでその効果のタイプは相乗効果であり、多角化をすることでさらに技術という資産が蓄えられて、さらなる多角化へと発展する可能性もある。

2.
 既存事業との距離が短い分野への多角化することは、短期的には既存の事業で獲得した資産の転用可能性の高さから多角化に成功しやすいというメリットがあるが、両方の事業が共に衰退した場合にはリスクの分散にならないというデメリットがある。長期的には相補効果・相乗効果により両方の事業で高いシェアを占めることができるかもしれないというメリットがあるが、新しい事業に進出しているのだという心理的効果は比較的小さいというデメリットがある。

3.
 企業のドメインは、完全に事後的に設定されるのでも事前に設定されるのでもなく、中間的に設定されるのがよい。完全に事後的に設定すると、既存の事業に合わせて空疎なドメインを設定しがちであり、そうなることを避けられたとしてもドメインに合わせて今ある事業を整理・縮小することには多大な困難が伴う。他方で完全に事前に設定をするとドメインに合わせて無理な多角化をする、あるいは有効な多角化のチャンスを逃す可能性が高くなり、多角化の現実的可能性が低くなる。状況に合わせて現実的に柔軟に多角化しつつ、その過程でドメインを調整し、適度なドメインが形成されるようにするのが理想的である。

伊丹敬之、加護野忠男『ゼミナール 経営学入門』第3章演習問題答案例

京都アカデメイア塾「論文の読み書き」クラスのために作成した、伊丹敬之、加護野忠男『ゼミナール 経営学入門』第3章演習問題答案例です。

 

第3章 競争優位とビジネスシステム
(演習問題)
1.
このような、宅配便のネットワークサービスが高度に発達し、コンビニエンスストアの店舗網の密度もきわめて高い環境のものとでのインターネットを使った消費者相手の小売業のビジネスモデルの典型的な発展形態は、自社は商品の仕入れに特化することで、品質に比して低価格な多種類の商品を消費者のもとへと迅速に届けるというものになる。宅配便とコンビニエンスストアが発達していれば商品の配送と受け取りがそれらに頼れるということに加え、代金の収納もしてもらえるので、支払いシステムを自社で構築したりクレジットカードの加盟店になったりする必要がない。さらに、チケットのような定型的な商品であれば、情報さえ管理すればコンビニエンスストアの店舗で発券することもできる。他方でこれらの発達していない国では、流通や支払のシステムをいかに構築するかが大問題になる。

2.
アウトソーシングのメリットはコスト削減と一定の品質の保証で、デメリットは自社のコントロールできる範囲が縮小し差別化が難しくなることである。既存の業務を新たにアウトソーシングするのであれば、その業務に携わっている従業員の不満を高めるというデメリットもある。メーカーが経理業務をアウトソーシングすることは他の製品開発などの業務で差別化することをを意味し、設計業務のアウトソーシングをすることは他の流通や販売などの業務で差別化することを意味すると考えられる。

3.
競争のドメインが広いということはビジネスシステムと製品・市場が広いということであり、取り得る選択肢が多くなる(競争の手段の武器庫が多様になる)とともに、それらを組み合わせることで新たな領域を開発する(懐が深くなる)こともできる。例えばK塾は講師の育成や教材開発も自前で行うほどビジネスシステムが深く、また授業だけでなく模試や出版物も提供するという幅の広さがある。そうすると少子化という逆風の環境になっても競争の手段の武器庫が多様なので、模試を私立高校に売り込むという有効な戦略を取ることができるし、手持ちの資源を生かして大学院入試という新たな市場で勝負できるという懐の深さも見せることができる。

伊丹敬之、加護野忠男『ゼミナール 経営学入門』第2章演習問題答案例

京都アカデメイア塾の授業の一環で、伊丹敬之、加護野忠男『ゼミナール 経営学入門』(日本経済新聞社、第3版、2003)の第2章「競争のための差別化」の演習問題の答案例を作ったので、公表します。

第2章 競争のための差別化

(演習問題)

1.
CDの使用そのものでの取り合いの相手としてMDやiPodなどの新しい技術産業が、顧客のCDへの支出を取り合う相手として携帯電話産業やアニメ産業などが登場してきた。音質面ではMDやiPodなどのデータはCDとほぼ同等であるので、歌い手との握手券をCDに付けるといった戦略を取るべきである。アニメ産業などとは排他的に競争するのではなくメディアミックスの一環として主題歌やキャラクターソングのCDを積極的に売り出すべきである。

2.
既存の企業が製品の個性化を推し進める場合は、既存の製品とうまくマッチした個性を抽出するという条件が必要である。選んだ個性に応じて製品を変化させるのは組織として難しいだろうし、仮にそれができたとしても顧客は前の製品のイメージを持ち続けることになる。新規参入をする企業が一点豪華主義的に製品の個性化を目指すのであれば、企業名や商品名がその個性に適合し、適切な広告戦略によりそれが顧客に届くという条件が必要である。微妙な差別化の集積をする場合は、集積をすることができるほどの領域をその企業がカバーしていなければならない。

3.
塾産業を例に考える。市場が生まれるときには学校よりもわかりやすく教えるという製品が武器の中心になることが多い。そのあと競争の推移とともに、進路指導などのサービスに、さらには価格へと中心的武器が変わって行く。ブランドはどの段階においても中心的な武器になり得る。塾に通うことが一般的になると顧客が進路指導などのさらなるサービスを求めるようになり、そうしたサービスもおよそ出尽くして塾が均一化すると価格でしか差別化できなくなるからである。

【イベント】7月11日 美味しく学べる♪ 鉄板 classe(テッパン・クラッセ)in おっとう vol.1 『あさりが教えるボクらの未来』

7月11日(土)、美味しく学べる♪ 鉄板 classe(テッパン・クラッセ)in おっとう vol.1 『あさりが教えるボクらの未来』 を開催します。

Vo 1

~鉄板 classe (テッパン・クラッセ)って?~

ふだん、本は読んだりしてるけれど、なかなか講演などを聴きに行く時間が取れない!そんな社会人の皆さまを対象に『夜ごはんの”ついでに”学べる時間をつくろう』を目的にしたイベントです。
今回のテーマは、私たちの身近な食材ーあさり。あさりのことを調べていく内に、わたしたちの未来に影響する(かもしれない)重大なことが分かってきましたのでレポートします。
レポーターからの話のあとは、おっとうの美味しい料理も召し上がっていただき、頭もお腹も、いっぱいになって帰っていただければ幸いです。
*プチ大喜利も開催しますので、ご興味ある方はご参加ください。

レポーター: 中島啓勝 (京都文教大学・京都造形芸術大学 非常勤講師)

日時・プログラム:
2015年 7月11日(土)夜
18:30~受付開始
19:00~レポート
20:00~ごはん&プチ大喜利

会場:
鉄板焼おっとう(大阪市北区中崎2-2-27、大阪市営地下鉄 谷町線「中崎町」駅から徒歩1分)
https://www.facebook.com/teppanyakiottou

参加費: ごはん(コース)付き 3500円 ドリンク代別

予約・お問い合わせ先: 鉄板焼おっとう
TEL 06-6371-5560
*事前予約制ですので、お電話でご予約ください。

主催:京都アカデメイア

6月27日 京都アカデメイア塾 体験授業を開催します。

 
6月27日(土)、京都アカデメイア塾 体験授業を開催します。

講座名:世界に触れる社会学
テーマ:UFO現象の社会学
 
京アカポスター UFOの社会学MINI

20世紀最大のミステリーのひとつ、「UFO現象」について社会学的に考えます。

<この講座はこんな方におすすめです>
・社会学に興味がある、どうやって学んだらいいのか悩んでいる。
・社会の出来事について深く考えたい。
・社会について自分なりの考え方を身につけたい。

 
講師:大窪善人
NPO法人京都アカデメイア・スタッフ。佛教大学大学院 社会学研究科博士後期課程在学。専攻は社会学。京都府医師会看護専門学校 非常勤講師。研究会 佛大・社会学研究ゼミ/SISBU 主宰。研究会誌「SOCIOLOGICAL SEMINAR」(佛大・社会学研究ゼミ発行)企画・編集。Twitter:@yoshio_ok 
 

2015年6月27日(土曜日)、18:00-20:00
場所:GACCOH(京阪電車「出町柳駅」2番出口より徒歩5分)
事前申し込み不要。参加費500円。当日会場までお越しください。

お問い合わせ:kyotoacademeia+juku@gmail.com

 

ウェーバー『職業としての学問』『職業としての政治』読書会のお知らせ

下記のとおり、読書会を開催することになりました。
専門知識がある方もない方も、 ご関心ある方はどなたでもご参加ください。

日時:6月20日(土)16〜19時
場所:GACCOH (京阪出町柳駅から徒歩5分)
課題図書:マックス・ウェーバー『職業としての学問』『職業としての政治』

※参加費は無料ですが、場所代としてひとり数百円程度のカンパを頂きます。

テキストは岩波文庫版が最も入手しやすいかと思いますが、 それ以外の出版社のものでも構いません。
日経BPクラッシクから出ている中山元訳のものも、二つの講演がひとつにまとまっていて便利かもしれません。
飛び入り参加も可能ですが、事前にある程度参加人数を把握したいので、 参加希望の方はkyotoacademeia□gmail.com(□に@を入れてください)までメールいただけると助かります。 どうぞよろしくお願いします。

職業としての学問 職業としての政治 nikkeibp

伊丹敬之、加護野忠男『ゼミナール 経営学入門』第1章演習問題答案例

京都アカデメイア塾の授業の一環で、伊丹敬之、加護野忠男『ゼミナール 経営学入門』(日本経済新聞社、第3版、2003)の第1章「戦略とは何か」の演習問題の答案例を作ったので、公表します。

 

第1章 戦略とは何か

(演習問題)

1.
 戦略が失敗した例としてY塾を取り上げる。同社は第一の戦略の定義に関しては、市場の中の長期的基本設計図という点に問題があったと考えられる。市場は長期的に少子化傾向、大学現役入学志向であるにもかかわらず、浪人生を主な対象とした集団授業を提供するという設計図に問題があったと言えるのである。第二の戦略の定義に関しては、多くの生徒から求められる企業というあるべき姿を設定したとして、そこに至るシナリオに問題があったと考えられる。同社は多くの生徒を集めるために主要都市に教室を開くというシナリオを採用したが、地域に密着するようにもっと広範囲に教室を開くシナリオのほうが適切であると言えそうである。

2.
 ポジショニングスクールに偏った場合には、現実的に組織としての活動が可能であるかどうかが見落とされがちになる。市場の中で需要を見出しても、そこで求められる商品を現実的に提供できなければ意味がない。経営資源スクールに偏った場合には、市場の動向に無頓着になりがちになる。自社にふさわしい商品を提供したとしても、それが市場で求められなければ売れるはずがない。

3.
 マーケットシェアが高いということは生産の絶対量が多いということなので、その生産経験を通して得られる技術情報などが蓄積されやすくなる。また、顧客との接触も多くなるので、顧客そのものについての情報が蓄積されるとともに、顧客のフィードバックから商品の質を向上させるヒントも得やすくなる。このようにして見えざる資産の蓄積につながる。

 

経営学というよりは国語(小論文)的に答案を作っているような感じがしました。

 

 

5月17日『nyx』エコノミー特集読書会レポート

去る5月17日に雑誌『nyx(ニュクス)』エコノミー特集の読書会を開催しました。この読書会は、編集者さんの希望で一般告知は行わず、京都アカデメイアのメーリングリストのみで告知をさせていただきました。(こういうケースもあるので、ぜひ京都アカデメイアのメーリングリストにご登録を!今後のイベント情報などお伝えします)

『nyx』は2015年1月に創刊されたばかりの新しい思想雑誌です。若い力で現状の閉塞したアカデミズムに風穴を開けようという意志と気概が感じられる創刊号になっています。第一特集は「〈エコノミー〉概念の思想史 アリストテレスからピケティへ」、第二特集は「現代ラカン派の理論展開」。若手の俊英研究者たちの論考とともに、ピケティ・アガンベン・ナンシーなど海外の著名な研究者の翻訳論文も掲載されていて、非常に充実した内容です。
(参考)堀之内出版blog記事:新思想誌『nyx(ニュクス)』創刊
産経ニュース:実学偏重、業績主義の傾向強まる中、若手研究者が思想誌「nyx」創刊

nyx

当日は『nyx』エコノミー特集の主幹をつとめられた佐々木雄大さんと編集者の小林えみさんをお招きしてのイベント開催となりました。
まず私(百木)から『nyx』についての全体的な感想や疑問、そこから発展させた私なりの問題関心などをお話しさせていただきました。次に佐々木さんからそれに対するレスポンスをいただき、さらに参加者全員でディスカッション&質疑応答タイム、という段取りでした。

最後は会場全体で佐々木さんを質問攻め&リクエスト攻め、のようなかたちになってしまって少し申し訳なかったのですが、全体的に議論は盛り上がり、参加者の方の満足度も高かったように感じています。個人的には、図らずも「東京vs京都」の価値観や思考方法の違いが浮き彫りになって面白い化学反応が起こったのではないかなと思ったりもしています。

大きな論点になったひとつのポイントは、「そもそも今『エコノミー概念の思想史』を特集することの意義はどこにあったのか」ということでした。この特集では、古代から現代に至るまで「エコノミー」概念がどのような思想的変遷をたどり、それぞれの時代・社会でどのような役割を果たしてきたかということが詳細に検討されています。「エコノミー」と聞いてわれわれが真っ先に思い浮かべるのはもちろん「経済」(とりわけ市場経済・貨幣経済)という意味ですが、実はこの「エコノミー」という概念はそれだけに収まらない多様で豊潤な意味(役割)を持っていたことが示されます。

例えば、古代ギリシアでは「エコノミー」の語源になった「オイコノミア」は「家政術」を意味する言葉でしたし、中世社会では「オイコノミア」は「神による統治」「神が定めた配置・配剤・秩序」といった意味合いをもっていました。さらに近世社会では「自然のエコノミー」「動物のエコノミー」といったかたちで、自然・生物に与えられた秩序を意味するものでもありました。われわれに馴染み深い「(市場)経済」という意味での「エコノミー」という語が用いられるようになるのは、あくまで18世紀後半以降の傾向にすぎません。

このような「エコノミー」概念の多様性・豊潤さを知るうえではこの特集はとても有用です。しかしそのような概念史的変遷を踏まえたうえで、ではその知見をさらにどのように発展させていくことができるのか、そもそも何のためにこの特集が組まれたのか?というところにまで多くの読者の思考は及ぶことでしょう。その部分に対する明快な答え(方向性)が見えないことが、この特集に対するひとつの物足りなさに繋がるかもしれない、ということを(僭越ながら)述べさせていただきました。

個人的には、現代の「エコノミーの過剰」に対する問題意識がこの特集の背景にあるのではないか、という勝手な推測をしています。ここでいう「エコノミーの過剰」とは、ひとつには「政治」に対する「経済」の過剰の問題であり、もうひとつには「主権」に対する「統治」の過剰という問題です。例えば、前者は1970年代以降の新自由主義の展開として名指されているものであり、後者は大竹弘二さんと國分功一郎さんの対談本『統治新論』などで問題視されているものです。

これらの「エコノミーの過剰」問題に立ち向かうためのヒントを「エコノミー」概念の思想史を辿ることによって掴むことができるかもしれない。あるいは、そのことによって現在の「エコノミー」とは異なる、別の「エコノミー」の可能性(オルタナティブ)を探ることができるかもしれない。この点に「エコノミーの概念史」特集を行う意義があったのではないか、というのが私なりの解釈でした。

そのような「別のエコノミー」の可能性を探るヒントとして、私が個人的に最も関心を持っているのは、佐々木雄大さんの論考の最後に触れられている、バタイユの一般エコノミー論(普遍経済学)です。バタイユは、近代における「市場経済」あるいは「貨幣経済」としてのエコノミーを「限定エコノミー」と呼び、それよりもより包括的で普遍的なエコノミーのあり方を「一般エコノミー」として構想します。ここでいう「一般エコノミー」とは何か。私はバタイユに関しては素人なので精確な説明を与えることはできないのですが、例えばそれは、太陽から降り注ぐ熱エネルギーや、自然・生物がもつ生命エネルギーや、人間社会に内包される諸々の「力」の存在などをも対象とした、〈生産に限定されない消尽・贈与をも考慮に入れた〉より広範囲な「エコノミー」のあり方を構想するものです。

このようなバタイユの「一般エコノミー」論は、現代の「限定エコノミー」がもつ限界(あるいは「限定エコノミー」の過剰化問題)を突破するためのひとつの重要な参照点になるのではないか、というのが私から佐々木さんに投げかけた問いでした。この問いに対して、佐々木さんはひとつひとつ丁寧に答えてくださったのですが、そのなかでも個人的に印象に残っているのは、「しかし、太陽から降り注ぐ熱エネルギーを『純粋な贈与』として捉えるバタイユの視点は、実は、オイコノミア神学の捉え方にほとんどそのまま重なるものでもありうる」というご指摘でした。バタイユの一般エコノミー論に従来の「エコノミー」概念を突破する契機を見出そうとしたところが、実はその試み自体もまた伝統的な神学枠組みのひとつのバリエーションにしか過ぎないのかもしれない。あるいは近代的な「統治パラダイム」(生政治)に対抗して「無為と栄光」の意義を換骨奪胎(脱構築)しようとするアガンベンの試みにも同じようなことが言えるかもしれません。

最後の方はやや専門的な議論かつ説明不足で分かりにくいところがあったかもしれませんが(あるいはより専門的に見れば不正確な記述もあるかもしれませんが)、あくまで実際に行われたディスカッションへのメモということでご容赦ください(もし記述に不正確な部分があればそれはすべて私・百木の責任です)。ひとまずこうした雰囲気で濃密な議論が参加者のあいだで交わされたということが伝われば十分です。

こうした濃密な議論ができたのも、何より若手研究者の方々が中心になって『nyx』という思想誌を創ってくださったからですし、またゲストの佐々木雄大さんがどんな質問やツッコミにもひとつひとつ真摯にお答え頂いたからだと感謝しております。またときどき、こういったかたちで「東京vs京都」の交流イベントができればお互いにとって刺激的な場になるのではないかと考えています。はるばる東京から京都までお越しいただいて、快く議論に参加してくださった佐々木雄大さんと小林えみさんに感謝しつつ、また今後の『nyx』の展開にも期待をしております。また京都アカデメイアでもそれに負けないようにいろいろなイベントを企画していければと考えていますので、今後ともよろしくお願いします。

 

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当日は20名ほどの方に参加いただきました。

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東京vs京都(?)の構図。

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読書会を終えて佐々木さん&百木で記念撮影。