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憲法思想勉強会(第1回分&第3回分)

昨年度、三回にわたって憲法思想勉強会「立憲主義の(不)可能性を考える」を開催してきました。今年に入ってからはまだやれていませんが、今秋のうちにいちど開くことができればと考えています(その際はまたMLで告知します)。
そのための準備も兼ねて、ここでこれまでの勉強会の内容をもとに、論点を箇条書きで簡単にまとめておきたいと思います。今回は第1回と第3回の分を掲載します。

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【京都アカデメイア聖書読書会(第Ⅲ期)】

今日は5人参加。ルター『キリスト者の自由』の続き。すでに何らかの形でルターの考え(信仰のみ、万人祭司など)を知っているせいもあってか、意外とつまらない。かわりに、内容に関連した脱線に花が咲く。神に試されるという話との関連で、今日もオウムのマハームドラーの話が出る。キリストが私たちの「罪」を引き受けるという表現が今回も出てきて、引き受けるのは罪ではなくて罰なのでは、といろいろ拘泥してしまった。ちなみに麻原氏が太っているのは信者のカルマを引き受けているからだそうな(カルマ太り)。ドストエフスキーの『罪と罰』はじめ、冤罪についての議論もでる。ロシア文学には、やたらと冤罪で捕まる人と、そのことで苦しむ真犯人が登場する。ほかにも偽ディオニュシオス・アレオパギテース、男子校と女子校、日本基督教団、菊池寛、教誨師、などいろいろ。むらたさんの「人が心安らかになるのは止められない」は名言。

次回は5月28日(土)10:00~ @京大本部時計台下サロン

京都アカデメイア聖書読書会(第Ⅲ期)のお知らせ

京都アカデメイア聖書読書会(第Ⅲ期)を開始します。
とりあえず、初回の時と処は4月5日(火)午前10:00~@京大中央食堂です。どなたでもいらして下さい。
第三期はルターの『キリスト者の自由』を読みます。どこの版でも結構ですので、訳本をご持参ください。

聖書読書会報告(3・15)

今回でコリント後書の最後まで読みおえました。これで第Ⅱ期は終了です。パウロがコリント教団にエルサレムへの寄付を呼び掛ける手紙が、奥歯にものが挟まったような、それでいて自主性を強要するような文体だったのが笑えました。教団経営とお金という問題はいつの時代にも宗教に付きまとう問題だなと感じさせられました。なお、第Ⅲ期のルター『キリスト者の自由』の初回は、現在年度末で皆の日程が流動的なため、後日決定することとします。平日の晩になる可能性が高いと思われます。どなたでもご参加ください。今後とも京都アカデメイア聖書読書会をよろしくお願い致します。

京都アカデメイア聖書読書会(第Ⅱ期)

聖書読書会担当者からの報告をアップします。

 

今日はコリント後書の2章~3章まで。意外と時間がかかり、Ⅱ期の終了は次回になりそうです。今日の範囲で気になったのは2章の14節の「神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。」というところ。思想(知識)を匂いに例えることって、結構あるなと思います。こないだ見たツイッターの誰かのつぶやきでは「お前は人権の臭いがする」と言われた、というものがありましたし、キリスト教の雰囲気を「耶蘇臭い」、仏教の雰囲気を「抹香臭い」などと表現するのも聞いたことがあります。これらの例はともに非難めいた文脈での用法ですが、いろんな宗教の儀礼においても、お香を焚くなど、信仰を嗅覚に訴えて伝える要素が多く見られます。聖像(視覚)や音楽(聴覚)と宗教というテーマはそれなりに研究の蓄積があると思われますが、嗅覚と宗教というテーマは案外未開拓の領域ではないでしょうか。

 
あと、今回もやはり「聖霊」って何よ、よくわかんないね、ということが話題にな…りました。偶像化しえない超越神がいて、それをこの世に媒介するためにイエスとして受肉した、というところまでは分からないではない。だけど、さらに聖霊という媒介まであるのはなんでだろ、という疑問です。いろいろ事典などで調べてもすっきりしないのですが、今日の読書会で自分たちなりに考えてみました。そもそもキリスト教ではイエスという人のかたちで神がこの世に姿を現し、しかも彼が全人類の原罪を担って十字架で死ぬことにより我々を救った、ということになっています。ところが、そう言われて「そうなんや!ありがたいことや!」と思える人と「なんじゃそりゃ」とただのヨタ話としてしか聞かない人とがいるわけです。前者が信仰のある人、後者がない人、ということになるでしょう。この違いはどこから生まれるか。その説明原理として「聖霊」の働きというものがあるのではないか。つまり、十字架でのイエスの死が人類の救済であることを、ヨタ話ではなく「真理」として受け取らしめる作用に「聖霊」という名前が与えられているのではないか。今日はとりあえずそんなふうに考えてみたところで終了しました。

 

次回は3月15日(火)10:00~@京大中央生協。次回こそ第Ⅱ期最終回となりそうです。皆さまご参集ください。

聖書読書会やってます

超おひさしぶりです、村田です。

夏前くらいからほそぼそと、聖書読書会を続けております。

Fさんの発案で始まったこの読書会、Fさんいわく、「信仰のない者たちが平日に聖書を読んであれやこれや言う浮世ばなれした集い」 ということで、参加者も興味関心もバラバラ。

私は、自分は西洋文化の素養がないなあ、と常々思うており、その基盤となるところの聖書をちゃんと読まねば……とは思うていたのですが、聖書ってひとりで読むにはなかなか意外にハードル高いのですよね。前提が分からんかったり、謎の比喩が出てきたり。というわけで、皆でああとちゃうか、こうとちゃうか、と言い合いながら読めるのは有難いのです。

(ちなみに、昔、人文系知識人何人かに、「読んでいるべきなのに読んでいない本」アンケートを取ったところ、2位に聖書がランクインしたという話を聞いたことがあります。1位は『資本論』だったとか。)

 

聖書を読むだけでなく、毎回、そこからの連想であちこちいろんなところに話題が飛ぶのも愉快です。それぞれの専門分野から無駄話まで(無駄話をするのんはだいたい私ですが)。なぜか今、仏教の専門家多めなので、仏教の裏話をいろいろ聞けるのが面白かったりします。

 

レジュメは切らない輪読形式の読書会なので、興味ある方はお気軽に参加ください。(信仰のある方もない方もどなたでもどうぞ。) 日時はだいたい平日午前に隔週で、人数は3~6人で続けております。マタイ福音書を(半年くらいかけて)読み終わり、最近、「コリント信徒への手紙」に入ったところです。

新約聖書であれば、訳も言語もなんでもOKです(下の写真ではどれも新共同訳ですが……)。

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場所は今のところ、京都大学時計台内の京大サロンを使っています。

京大サロン、できた頃は「気取ったもん作りやがって」と思ってましたが便利ですね。あと、毎日、日替わりでいろんな可愛いお花が飾られているのがひそかに楽しみです。話がそれたところで、お花の写真をupして終わります。

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