月別アーカイブ: 2016年5月

第7回京都アカデメイア読書会(ハンナ・アーレント『人間の条件』)のお知らせ

百木です。第7回京都アカデメイア読書会のお知らせです。
今回の課題本は、ハンナ・アーレント『人間の条件』です。

私、百木がハンナ・アーレントの思想を研究しており、これまでGACCOHさんでのアーレント講座を担当させて頂いてきたなどがきっかけで、アーレントの『人間の条件』の読書会をやってほしい、というリクエストの声をいただきました。そこで今回は、私がレジュメ報告者兼解説者となるかたちで、読書会を行います。京都アカデメイアメンバーの新倉君が開催している西洋古典読書会との共催のかたちになります。

今回は『人間の条件』第1章~第3章を読みます。当日は初心者の方でもわかるように、解説などしていくつもりですが、各自できる範囲で課題箇所を読んでいただければ幸いです。学術的にテキストを精読するというよりは、それぞれに気になった箇所などを挙げながら、アーレントを題材にして幅広く議論ができればいいなと考えています。関心ある方はどなたでもお気軽にご参加ください。

第7回京都アカデメイア読書会
課題本:ハンナ・アーレント『人間の条件』第1~3章(ちくま学芸文庫、志水速雄訳)
日時:5月29日(日)14~17時
場所:GACCOH(京阪出町柳駅から徒歩5分)
※参加費は無料ですが、会場代を数百円程度カンパしていただく予定です。

当日の飛び込み参加も可能ですが、事前におおよその人数を把握するため、参加希望の方はkyotoacademeia@gmail.comあるいは百木までご連絡をいただければ幸いです。よろしくお願いします。

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ハンナ・アーレント×ハンス・ヨーナス講座@GACCOH レポート

百木です。GACCOHのアーレント×ヨーナス講座第4回が無事終了しました。昨日は多くの方に参加いただけて、議論も盛り上がったので良かったです。締めくくりにふさわしい感じでした。今回は「責任」がテーマだったのですが、アーレントとヨーナスの思想の違いがよく出て、面白い議論になったのではと思います。

特に昨日は、ヨーナスの「弱い神」、神が人間を助けるのではなく、人間が神を助けるというアイデアが面白くて印象的でした。アウシュビッツ後にどのような道徳・倫理・責任を語るか、というのが昨日のテーマでしたが、アーレントが決して神に頼ろうとしなかったのに対して、ヨーナスは最後までユダヤの神への信仰を捨てず、それを救い出すための哲学を構想したのだなと。

4回の講座を通してヨーナス哲学の概要を知ることができ、アーレントとヨーナスの共通した問題意識と、それに対するそれぞれの応答の違いを知ることができて、僕自身も大変勉強になりました。一緒に講師を務めてくれた戸谷洋志さんに感謝です。
今後、戸谷さんと一緒に学術的にも何らか成果を出していければいいねという話もしています。アーレントとヨーナスの比較研究は海外ではいくつか先行研究があるらしいのですが、日本ではまだ本格的に研究されていないと思うので、そこを切り開いていけたらいいなと。

こういう場を設けていただいたGACCOHさんにも感謝です。また次も何かやりましょう。


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【京都アカデメイア聖書読書会(第Ⅲ期)】

今日は5人参加。ルター『キリスト者の自由』の続き。すでに何らかの形でルターの考え(信仰のみ、万人祭司など)を知っているせいもあってか、意外とつまらない。かわりに、内容に関連した脱線に花が咲く。神に試されるという話との関連で、今日もオウムのマハームドラーの話が出る。キリストが私たちの「罪」を引き受けるという表現が今回も出てきて、引き受けるのは罪ではなくて罰なのでは、といろいろ拘泥してしまった。ちなみに麻原氏が太っているのは信者のカルマを引き受けているからだそうな(カルマ太り)。ドストエフスキーの『罪と罰』はじめ、冤罪についての議論もでる。ロシア文学には、やたらと冤罪で捕まる人と、そのことで苦しむ真犯人が登場する。ほかにも偽ディオニュシオス・アレオパギテース、男子校と女子校、日本基督教団、菊池寛、教誨師、などいろいろ。むらたさんの「人が心安らかになるのは止められない」は名言。

次回は5月28日(土)10:00~ @京大本部時計台下サロン

「やっぱり知りたい!対話編 ハンナ・アーレント × ハンス・ヨーナス」第4回[

百木です。
「やっぱり知りたい!対話編 ハンナ・アーレント × ハンス・ヨーナス」第4回のお知らせです。
もともと全3回で終了予定のイベントだったのですが、前回、相方の戸谷洋志さんがインフルエンザでお休みということになってしまったので、急遽、第4回を企画させていただくことになりました。

「やっぱり知りたい!対話編 ハンナ・アーレント × ハンス・ヨーナス」第4回
日時:5月14日(土)18時~
場所:GACCOH(京阪出町柳駅から徒歩5分)
ナビゲーター:百木漠×戸谷洋志
参加費:1000円
参加予約はこちらから→http://www.gaccoh.jp/?page_id=6955

最終回のテーマは「責任」です。ナチスによるユダヤ人の迫害、そして収容所におけるホロコーストという未曾有の経験を経て、アーレントとヨーナスがそれぞれ「責任」についてどのように思考していたのか、戸谷さんとの対話のなかで明らかにしていければと考えています。また先日公開になった映画「アイヒマン・ショー」などのお話もできればと考えています。予備知識不要、今回のみの参加も歓迎なのでどうぞよろしくお願いします。

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第6回京都アカデメイア読書会(『失敗の本質』)を開催しました。

百木です。
4月24日(日)にGACCOHさんを借りて第6回京都アカデメイア読書会を開催しました。
課題本は『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』。太平洋戦争における日本軍の組織的構造の問題点を詳しく研究した一冊です。経営学の分野での必読書としても知られています。

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参加者は6名とやや少なめでしたが、若手研究者、非常勤講師、大学院生、社会人、大学生(学部生)といろんなメンツが揃って議論は盛り上がりました。
あいまいな戦略目的、主観的で帰納的な戦略策定、空気の支配、進化のない戦略オプション、アンバランスな戦略技術体系など、現在の日本組織の構造にも通ずる問題が次々と列挙されていて、あの戦争のときと今とでは根本的なところは何も変わっていないよね、という感想がしきりに聞かれました。とくに会社や大学などの組織で働いたことがある人間にとっては、どれもこれも「あるある」なことばかりだったようです。某先生が大学のゼミでこの本を読ませたところ、学生たちから「これほんとバイトの現場で起こってることそのままっす」みたいな感想がたくさん出てきたとか。

そのうえで僕が個人的に気になったのは、このような日本組織の構造的欠陥が、日本が西洋近代に「遅れ」ていることから来るものなのか、あるいはそもそも日本が西洋近代とは根本的に異なった文化・価値観を抱えていることから来るものなのか、という問題です。前者は丸山眞男に代表される考え方で、この本の筆者たちも基本的にそのような考え方に立っているものと思われますが、しかしそのような図式でもはや不十分なのではないか、と最近は感じています。この本を読んでいると、戦後70年間のあいだの日本組織のあまりの変わらなさぶりに、むしろ西洋文明と日本文化は相当に異なった基盤のうえに立っていて、その違いは容易には埋まらない(少なくとも百年や二百年レベルでは埋まらない)と捉えておいたほうがよいのではないかと。こうした捉え方は、一歩間違えると、日本特殊論、あるいは歪んだ日本礼賛論になりかねないので気をつけねばならないのですが、150年程度の近代化の歴史(来年でちょうど明治維新150年ですね)では簡単に埋まらない西洋文明と日本文化の間の溝とは何なのか、それぞれの文明・文化がどのような基盤のうえに立脚しているのかを考えてみるというのも、なかなか面白い課題ではないでしょうか。

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ちょうど読書会の日の日経新聞に、『失敗の本質』で書かれているのとほぼおなじ内容の記事が掲載されていました。
検証なき国は廃れる 2016/4/24付日本経済新聞 朝刊
会員限定の記事なのですが、無料登録で読めるので関心ある方にはおすすめです。

この記事では、2003年以降のイラク戦争を米英日各国がどのように検証・総括したかが書かれています。この戦争は、イラクが大量破壊兵器を保有しているとして米国が中心となって攻撃を始めたものですが、結果的にそのような大量破壊兵器は見つからず、「大義なき戦争」であることが明らかになってしまった。当時のブッシュ大統領は、フセイン独裁体制の打倒と民主化の実現に戦争の目的をスライドさせようとしましたが、このような「大義なき戦争」に対して世界中から非難が集まりました。
これに対して、米政府はイラク戦争のみならずアフガニスタン戦争なども含めて911テロ後の対応について検証した600ページにもわたる報告書を約10年前に提出しています。また米政府に追従した英国でも、09年に設けた独立調査委員会が8年越しの検証を行い、今年6月にも結果を公表する予定とのこと。この検証作業ではブレア氏をはじめ、当時の要人や軍幹部など百数十人にのぼる関係者にインタビューが行われたということです。
それに比べて、日本ではどうか。英政府と同じく、当時の小泉政権も米国のイラク戦争を支持し、イラク特措法を成立させて、後方支援という名の兵站業務に自衛隊を派兵しました。しかしこれに対する本格的な検証作業はいまだ行われていない。支持を決めた経緯について、民主党政権の指示を受けた外務省が調査し、2012年12月に結果をまとめたそうですが、発表されたのはたった4ページの要約だけ。これではまともな「失敗の検証」作業になっていないのは明らかです。

これについてこの記事では次のようにまとめられています。

 日本はなぜか、失敗を深く分析し、次につなげるのが苦手だ。「小切手外交」とやゆされた1991年の湾岸戦争、安保理常任理事国入りに失敗した05年の国連外交、小泉純一郎首相による2度の北朝鮮訪問。外交だけでも、検証すべきできごとはたくさんある。
 だが、元幹部を含めた複数の外務省関係者によると、これらを正式に調べ、総括したことはないという。多くの人が原因にあげるのが次の2点だ。

 *日本人の性格上、失敗の責任者を特定し、批判するのを好まない。
 *これからも同じ組織で働く上司や同僚の責任を追及し、恨まれたくないという心理がみなに働く。

 同省にかぎらない。日本の組織には多かれ少なかれ、こうした「ムラ的」な風土がある。ならば、ときには第三者が必要な検証をしていくしかない。国家の場合、その役割をになうべきなのは立法府である。

失敗の責任を特定の個人に帰することを嫌い、「一億総懺悔」といった風に責任の所在を曖昧にしてしまう傾向、誰が最終決断をしたのか不明確なままに「空気の支配」によって重大な決断がなされてしまい、後からそれに対して誰も責任を取ろうとしない事態、こうした状況はどうやら容易に改まることはなさそうです。東日本大震災にともなう福島原発事故や、最近の原発再稼動においても、そのような問題の構造は引き継がれたままです。こうした組織的欠陥を改めていく地道な努力を続けると同時に、こうした体質が容易に変化することはないことを前提としてどのような社会・組織をデザインしていくのが望ましいのか、西洋文明と日本文化の根本的な差異を探りつつ、考えていく必要があるのかなといったことを、帰りの電車のなかでつらつらと考えていました。

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京都アカデメイア読書会では、今後も「(1)これまで読もうと思いつつなかなか読めていなかった古典・重要テキストを読む」「(2)課題本を通じて、現在の日本社会が置かれている状況を考える」という二つをテーマにして、月一ペースでいろんな本を読んでいければと考えています。皆様もご関心とご都合のあうタイミングがあれば、ぜひ読書会にご参加ください。よろしくお願いします。

熊本地震の偽善叩きに見るより深い問題:善の困難

大窪善人
 

4月14日夜に熊本、大分県を中心に発生した地震は各地で大きな被害をもたらしました。また、その後も断続的な余震が続きいまだ大勢の方が避難されています。
被災された方々には心からお見舞い申しあげます。

今回は、震災に際して気になったことについて考えてみたいと思います。
それは、今回の件から、私たちの社会が抱える深い問題が見えてくるのではないかということです。

なぜ私たちは「偽善叩き」にとらわれるのか

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