なぜ若者は結婚しなくなったのか?(前編)

大窪善人

素材加工用

生涯未婚率の推移(男女別)/男女共同参画白書 平成25年版

近年結婚しない若者が増えているといいます。生涯未婚率の推移をみると、1995年には男・女でそれぞれ9.0%、5.1%だった値が、2010年には20.1%、10.6%とわずか15年のあいだに倍増しています。では、その理由はいったい何なのでしょうか?

もちろん、問題にはさまざまな要素が複雑に絡み合っているので決定的な答えは出ません。しかし、今回は「他者の抽象化」をキーワードにして柔軟に考えてみたいと思います。

結婚できない主観的な理由

2013年度内閣府報告書では、結婚を望む39歳以下の男女(全体の約7割以上)が結婚に対して不安に感じていることについて聞いています。

それによれば、「適当な相手にめぐり合わない」(46.9%)と答える割合が最も高く、「自分の時間を失いたくない」(34.3%)、「結婚後の生活資金が足りないと思う」(33.6%)がそれに続きます。

ちなみに、結婚したくない男女(全体の約2割)では、「自分の時間を失いたくない」(44.6%)が最も高く、次いで「異性とうまく付き合えない・恋愛がめんどう」(43.7%)、「適当な相手がいない」(40.1%)となります(複数回答)。

主観的な意識としては、「かならずしも結婚をしなくてよい」と感じる若年未婚者の割合はゆるやかに増えてきています。他方、「結婚をしたくない」と感じる人の数はかならずしも増えてはいません。ここから言えることは、いまの日本には、結婚したいけど結婚できない若者が大勢いる、ということです。

ではなぜ結婚できないのでしょうか? 結婚を望む人が最も多く挙げた「適当な相手にめぐり合わない」という理由がヒントです。

恋愛しにくい3つの理由

恋愛結婚が一般化している現代で、結婚相手を見つけるファーストステップは恋愛です。ところが、じつは交際経験のない若者も増加しているのです。

明治安田生活福祉研究所の2016年の調査によれば、恋人がいる20代は、男性では5人に1人 女性では3人に1人、つまり、男に至っては半分以上が交際経験ゼロです。

若者が恋愛に乗り出さない理由として、博報堂ブランドデザイン若者研究所の原田曜平氏は、若者のヒアリング調査などを通じて、3つの仮説を挙げています。

1.経済的な事情、収入や雇用が不安定
2.SNSによる「つながりすぎる」人間関係
3.情報過多による「既視感」で、「妄想力と行動力」が低下

20代男女「恋人いない=過去最高」の理由は?/東洋経済ONLINE

1はこれまでもよく言われてきたことですね。これでかなりの部分は説明できるかもしれません。しかし、興味深いのは2と3です。一見、携帯電話やSNSの普及により昔より出会いのチャンスは増えているのではと思いますが、むしろ逆だと言います。

SNSでは個人情報が筒抜けになるので、誰が誰と付き合っているか、誰が別れたかといった情報がすぐに伝わってしまう。だから思い切った行動に移しにくくなっているといいます。

さらに、インターネットで先にさまざまな情報を得ることができてしまうので、実際の恋愛でドキドキ感がかんじられず、「既視感」で冷めるのだといいます。情報の過多、「つながりすぎる」がゆえに逆につながれなくなるという逆説的な矛盾。

現代社会の苦悩

社会学ではしばしば、現代社会の特徴を「再帰性」という概念で説明します。イギリスの社会学者 アンソニー・ギデンズが提唱しました。

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再帰的な現代社会とは、かつて伝統や慣習だったものが、そのつど問い直されるようになった「徹底した近代=ハイ・モダニティ」だと言います。私(たち)の選択は本当にこれでよいのだろうか、他にもっとよい選択があるのではないだろうか、と。

家族や恋人といった親密な関係性も例外ではありません。目の前にいる相手がほんとうにパートナーにふさわしいかどうか、絶えず確認し吟味するという「再帰的モニタリング」を伴なうからです。ネットやSNSなどによる、過剰な「情報化」は、まさにこの流れに棹さすものでしょう。

もちろん、ギデンズのこの議論がはたして現代の日本にどこまで当てはまるかは、よくよく考える必要があるでしょうが、少なくとも、一定の説得力をもって受け入れられているのは事実です。

そして「散開する多数」へ

さて、この議論を徹底的に突き詰めると、どうなるのか。最初に示しておいた「他者の抽象化」へとつながります。

見田宗介氏はあるエッセーの中で、1960年の流行歌「アカシアの雨がやむとき」の歌詞と1999年に18歳で自殺したネットアイドル 南条あやの遺書とを比較して、親密性の構造転換を描き出しています。

私が消えて 私のことを思い出す人は 何人いるのだろう 数えてみた

南条あや『卒業式まで死にません』

かつて1960年代の初頭を代表するヒット曲「アカシアの雨がやむとき」は、自己の死についてこう歌っていた。「アカシアの雨に打たれて/このまま死んで しまいたい/夜が明ける 日が昇る/朝の光の その中で/冷たくなった わたしを見つけて/あのひとは/涙を流してくれるでしょうか」(作詞:水木かおる)。

「アカシアの雨」の青春の切実な問いは、ただ一人の「あの人」に向けて迷いなく差しむけられている。南条あやの切実な問いは、まず「何人」いるのだろうと、散開する多数に向けて発想される。

見田宗介「愛の散開/自我の散開」『見田宗介著作集Ⅵ』

特定の他者から、”多数”という「散開する」他者へ。何かというとすぐに粗を探され、梯子外しに遭う情報化、流動化した社会の中で、特定の誰かを選び、認めようという行いは、ほんとうはとても難しいことなのではないでしょうか。

しかし、それでもなお他者の承認を求めるならば、それは、「適当な相手にめぐり合わない」という否定性、つまり、「あなた、ではない、誰か」という、極限まで抽象化された形でしかありえないのではないか、とついつい勇み足に考えてしまうのですが。
 
追記:内閣府報告書の数値を一部訂正しました。(2016/09/1)
追記:内閣府報告書の数値について「(複数回答)」の文言を追加しました。(2017/05/26)

 
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