なぜ安倍政権はかくも快調なのか?

大窪善人
 

安倍政権の無敵っぷりがとまりません。

森友学園をめぐる問題は大きな騒動になりましたが、自衛隊の日報問題や”自ら判例を生み出すことのできる”法務大臣など、政権の致命傷になりかねない問題が相次いでいるにもかかわらず、内閣は揺るぎない安定を保っています。

先日、わたしの友人は、まるで首相はスーパースターを取ったマリオのようだと言って、思わずなるほどと感じました。

批判のほんとうの意味

これほどの問題が起きても支持率が下がらないのは興味深い現象です。

たしかに個別の問題で見れば多くの人が納得していません。それでも支持率が下がらない理由は、多くの人が、ほかに代わる選択肢がないと思っているからでしょう。一言で言えば、野党があまりに弱すぎるわけです。「野党は代案を出せ!」、批判=文句しか言わない嫌なやつら。そういったイメージが幅を利かせています。

なぜそんなことになったのでしょう。どうして批判が機能しなくなってしまったのでしょうか?

「批判」という言葉にはどうしても否定的な響きがあります。たとえば「批判」と「非難」はほとんど同じ意味で使われています。批判はできることならしない方がいい。そう感じている人が多いのではないでしょうか。

ところで「批判」に対応する言葉を英語では”クリティーク(critique)”と言います。ものごとの良し悪しを分けて、良いものを吟味するという意味です。

もちろん「批判」はかならず否定的な表現をとります。「より良い選択はこれではない!」「あなたの言うことは間違っている!」と。ところで、この「これではない」というネガティブな表現は、言い換えれば「これとはちがう別の選択の方がもっと良い」と言っていることと、論理的には同じことです。

つまり「これではない」という指し示しは、同時に「『これ』以外の『何か』」を肯定する表現であるわけです。ではその「何か」、言外に示された別の選択肢とは一体何なのでしょうか? それを示せなくては批判も説得力がありません。

マルクスが影響力をもった理由

かつて批判が政治・社会的に影響力をもった時代がありました。19〜20世紀に世界を席巻した共産主義革命の運動がそれです。今年はロシア革命からちょうど100年です。

運動の理論的支柱は、ご存知のように、マルクスの『資本論』です。ちなみに『資本論』のサブタイトルは「政治経済学批判」でした。

さてここが重要ですが、マルクスは劣悪な労働者の環境である資本主義をどうやって批判したかというと、来るべき共産主義という理想社会を基準にすることによってでした。

ちなみに、これは来世や天国を持ち出して現世の生活を反省する宗教の論理とよく似ています。マルクスの論理は、キリスト教の「救済の物語」の世俗化したバージョンでした。

いま批判の根拠はどこにあるのか?

いま革命はすっかり古臭い言葉になってしまいました。

理想を描けなくなった根本的な理由。それは、すでに多くの人が、神さまや天国のような宗教的世界観を信じられないように、「昨日より今日、今日より明日の方がもっとよい社会になる」といった、進歩や未来のイメージを描けなくなっているからではないでしょうか。

その意味で、過去の伝統を持ち出せる右翼・保守よりも、いまだ存在しないものへと賭ける左翼・リベラルの方がもともとのハードルが高いわけです。

ではやはり穏当に現状を延長する「この道しかない」のでしょうか。もしそれでも現状を批判して別の途方を求めようとするなら、どうすればいいのでしょうか? これは非常に遠大な問いです。

とりあえずの答えとしては、いまの政権の”穏当な”政策方針を乗り越えるのは、みんながわくわくするような別のビジョンを思い描いていくことではないでしょうか。なにより批判とは「ここではないどこか」へと賭けるということなのだから。 

「ここがロドスだ、さぁ跳んでみろ!」

おすすめの記事
北田暁大・白井聡・五野井郁夫『リベラル再起動のために』:「すべてをなしにする」衝動にどう抗うか?
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です