百木漠「アーレント「政治における嘘」論から考える公文書問題」

大窪善人


現代思想2018年6月号 特集=公文書とリアル
望月 衣塑子
青土社(2018-05-28)

 

「現代思想」に掲載されている百木漠さんの論考を読んだので、ご紹介したいと思います。

連日ニュースで報じられた森友・加計学園の文書改ざん、南スーダンPKOの日報隠蔽をはじめ、ここ数年、日本の公文書管理がいかにお粗末なものだったかが露呈しました。

民主政治の原則としては、国政が主権者=国民の信託である以上、政府の行動は原則公開され、チェック可能である必要があります。そして、公文書が、その貴重な手がかりとなる”資源”であることは、言うまでもありません。

今後は、民主主義を健全に機能させるためにも、政治家、官僚は勿論、国民レベルでも公文書管理の重要性を再確認し、適切な運用がされるよう監視していかなければならないでしょう。

 
伝統的な嘘と現代的な嘘

ところで、筆者は、この公文書問題が、哲学的に深刻な問題をも含んでいると指摘します。では、その問題とはいったい何なのでしょうか?

 
公文書管理の問題は、政治思想では「政治における嘘」問題として論じられてきたといいます。論文では哲学者のハンナ・アーレントの議論が参照されます。

まず、”政治”とは、相手がある交渉、駆け引きである以上、すべての情報をオープンにできないことは、ほとんどの人が承知しています。その意味で、完全にクリーンで、誠実な政治はありえない、とアーレントは言います。

では、政治において、ある程度の「秘密」や「嘘」は許されるのではないか。しかし、そこで、彼女は、政治の嘘を「伝統的な嘘」と「現代的な嘘」とに区別します。

伝統的な嘘とは、敵を欺くためにつく嘘で、それこそ昔から行われてきたものです。それに対して、現代的な嘘の特徴は、味方である自国民に向けられることにあります。そして、それが成功すると、ついにはその嘘を吹聴した当人さえもが、嘘を本当のこととして信じてしまうのだ、と。

 
世界の破壊

この自己欺瞞的な嘘が破壊的なのは、たんに、ほんとうの真実を覆い隠すだけではなく、むしろ「真実」というカテゴリー自体を抹消し、「世界」を破壊してしまうからです。

「世界の破壊」とはアーレント独特の表現ですが、たとえばサッカーの試合に喩えてみると、理解しやすいかもしれません。

選手によるラフプレイは反則行為ですが、審判が機能していれば大きな問題はありません。
ところが、もしプレーヤーが、ゲームのルール自体を、こっそり改変してしまったとしたらどうでしょうか。ルール違反が違反ではなくなります。なぜなら、すでにルールが書き換えられてしまっているから…。「世界の破壊」とは、このような事態を指すのではないでしょうか。

 
近年の世界的な流行語に「ポスト・トゥルース」というものがありましたが、ポスト・トゥルースの新しさは、「嘘をつく側が嘘を嘘だと思わないで叫ぶと、人々の感情が沸き立ち、議論が真偽とは別のところに持っていかれる」(三島憲一)ところにあります。

ならば、嘘を嘘だと明かすはずの証拠(公文書)を消去することで、嘘を真実にすげ替えてしまおうと。
アーレントの議論は今から半世紀近くも前のものですが、現在の政治状況をみるかぎり、(幸いならざることに)説得力を増しているようにみえます。

 
ところで、このようなタイプの嘘は、なぜ生じるようになったのでしょうか? 社会現象として興味深いところです(アーレントは、20世紀の大衆社会が生み出した全体主義体制と結びつけて考えているようです。が、ひとまず、この疑問は問いのままにしておきましょう)。

 
よい嘘とわるい嘘?

「現代的な嘘」の恐ろしさ、それは単純な事実の隠蔽にとどまらず、「真理」という統制的な理念を失効させることで、自分好みの状況や歪んだ世界観を作り上げてしまうということでした。この点をアーレントは厳しく批判しています。
しかし、その一方で、彼女は、嘘にポジティブな可能性も見ていたと言います。どういうことか?

嘘を語るというのは、世界が今あるのとは違うあり方について語るということ、そして「世界が現実にそうあるのとは別様にあるのを欲する」ことである。このような「別の世界」を想像することによって、この世界に新たな「始まり」をもたらす「活動」への道が拓かれる。[…]想像力を持つことと、嘘をつくこと(あえて真実/真理とは別のことを語ること)は紙一重の関係にあり、ときに重なっている。

たしかに、いまだ実現されてない「理想」や「未来」について語ることは、”反事実的”という意味では 充分な根拠なしのジャンプを伴わざるを得ません。

しかし、では、そのジャンプを可能にしてくれるものとは何でしょうか?

彼女によれば、それを解くカギは「真理」概念にあります。「そして、この「政治」の外側にある「真理」の領域を担うのが、学問と司法の役割であるとアーレントは指摘する」。

権力者が決してほしいままにできない領域、政治と真理との距たりを維持すること、これこそが「世界」に新たな「始まり」をもたらすのだ、と。
たとえば、優れた小説や創作物がすばらしいのは、それがフィクション(=嘘)を通じて、この世界を「他でもありうるもの」として示してくれるからではないでしょうか。

 
逆にいえば、「現代的な嘘」が跳梁する現状とは、まごうことなく、真理の領域(学問、法、そして公文書)の危機でもあるということです。

だから、今わたしたちが経験している現実とは、もし、深い真実を知ろうとする姿勢や慎みが失われれば、その境界を越えて、何でもありの政治的暴力が染み出してくるということ、これに他ならないのです。

おすすめの本


暴力について――共和国の危機
ハンナ・アーレント
みすず書房(2000-12-08)
第1章「政治における嘘」は、米国による秘密工作を含む、ベトナムへの介入政策の報告書「国防総省秘密報告書(通称 ペンタゴン・ペーパーズ)」のスクープに寄せた論評。このなかで、国民にむけて嘘を宣伝した政府自身がその嘘を信じてしまう、「現代的な嘘」が見出されます。


過去と未来の間――政治思想への8試論
ハンナ アーレント
みすず書房(1994-09-08)
第7章「真理と政治」。嘘がもつ政治=活動としてのポジティブな可能性、政治と真理との関係が論じられています。


アーレントのマルクス: 労働と全体主義
百木 漠
人文書院(2018-02-26)

 
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