
6月18日(土)京都大学 総合人間学部 人間・環境学研究科 同窓会イベントのお知らせ

今日は四人出席。京都アカデメイア理事長の大窪さんが初参加。ルター『キリスト者の自由』の続きを読む。「信仰こそ第一義だが、だからと言って行為は何もせず好き放題にしたらよいわけではない」というルターの教説には、何だか護教的配慮からくる首尾一貫性のなさがある気がした。ところで、信仰が第一というが、イエスの数多くの教説のうち「何を」信じることが大事なのか、という私の問いに、私以外のメンバーが、「何を」とか対象化されないかたちでイエスを信じるということでは、との回答。宗教音痴の私は「??」となりつつも、そういえば「神を信じる」という表現は英語ではなぜbelieve Godではなくbelieve in Godなのか、どうして「あなたの言うことを信じる」I believe youの場合のように他動詞ではなく、自動詞なのか、という疑問が浮かんできた。きちんと調べてはいないが、もともとbelieveという動詞は対象をもたず、主体の何らかの心理状態を表す自動詞だったのではないだろうか?そして、そのような状態が何か(誰か)のもとにinあるときに生じることをbelieve in ~と表現しているのではないだろうか?とすれば、何か「を」信じる以前に「信じる」という心理状態そのものが「~」によって惹起されているのであり、それは根源においては、いわば「信じさせられ」る受動的体験なのだろう。選民思想と言うと鼻持ちならぬエリート意識のようにとらえがちだが、本来的にはそういう一方的に「選ばれ」「信じさせられる」体験であり、大魚の腹で眠ったヨナがそうであったように、選ばれた側からすればいささか迷惑なことですらあるかもしれない。「信じる」ということをめぐる受動性と能動性について、ぼんやりそんなことを考えたりしました。次回は6月11日(土)10:00~@京大本部時計台下サロン。
新倉です。
5月29日は、GACCOHさんのスペースをお借りして、京都アカデメイア読書会を開催しました。今回の課題は、アーレントの『人間の条件』。近年、アーレントは映画化され、関連書籍が多く出版されるなど、にわかにブームになっていました。しかも今回は、アーレント研究をしている百木さんによる報告ということもあり、多くの方に参加していただきました。そして、参加者の皆さんの参加動機として、アーレントの『人間の条件』はいつか読まないといけないと思っていたけれど、なかなか機会がなくきてしまったので、今回の読書会をきっかけにして読みたい、と仰っている方が多かった印象です。
さて今回は、1章から3章を範囲としていましたが、時間の都合上、主に1章2章を中心に議論をしました。『人間の条件』は、人間は何によって条件づけられているか、ということが主題となっている本です。有名なのが、活動的生活を構成する「労働」「仕事」「活動」という三つの営みですね。アーレントは、西洋形而上学の中で「観照」に対して、「政治」の地位が低かったことを指摘します。そこで、「活動」の地位を見直すこと、つまり「政治」の重要性を説いている本であるということができます。今回は、どういった発想からアーレントがこのような区分を行っているのか、などを中心に議論が行われました。
多くの人に参加していただきました。
徐々に講義形式になっていく百木さん。
次回は、『人間の条件』4章から6章です。
百木です。第7回京都アカデメイア読書会のお知らせです。
今回の課題本は、ハンナ・アーレント『人間の条件』です。
私、百木がハンナ・アーレントの思想を研究しており、これまでGACCOHさんでのアーレント講座を担当させて頂いてきたなどがきっかけで、アーレントの『人間の条件』の読書会をやってほしい、というリクエストの声をいただきました。そこで今回は、私がレジュメ報告者兼解説者となるかたちで、読書会を行います。京都アカデメイアメンバーの新倉君が開催している西洋古典読書会との共催のかたちになります。
今回は『人間の条件』第1章~第3章を読みます。当日は初心者の方でもわかるように、解説などしていくつもりですが、各自できる範囲で課題箇所を読んでいただければ幸いです。学術的にテキストを精読するというよりは、それぞれに気になった箇所などを挙げながら、アーレントを題材にして幅広く議論ができればいいなと考えています。関心ある方はどなたでもお気軽にご参加ください。
第7回京都アカデメイア読書会
課題本:ハンナ・アーレント『人間の条件』第1~3章(ちくま学芸文庫、志水速雄訳)
日時:5月29日(日)14~17時
場所:GACCOH(京阪出町柳駅から徒歩5分)
※参加費は無料ですが、会場代を数百円程度カンパしていただく予定です。
当日の飛び込み参加も可能ですが、事前におおよその人数を把握するため、参加希望の方はkyotoacademeia@gmail.comあるいは百木までご連絡をいただければ幸いです。よろしくお願いします。
百木です。
「やっぱり知りたい!対話編 ハンナ・アーレント × ハンス・ヨーナス」第4回のお知らせです。
もともと全3回で終了予定のイベントだったのですが、前回、相方の戸谷洋志さんがインフルエンザでお休みということになってしまったので、急遽、第4回を企画させていただくことになりました。
「やっぱり知りたい!対話編 ハンナ・アーレント × ハンス・ヨーナス」第4回
日時:5月14日(土)18時~
場所:GACCOH(京阪出町柳駅から徒歩5分)
ナビゲーター:百木漠×戸谷洋志
参加費:1000円
参加予約はこちらから→http://www.gaccoh.jp/?page_id=6955
最終回のテーマは「責任」です。ナチスによるユダヤ人の迫害、そして収容所におけるホロコーストという未曾有の経験を経て、アーレントとヨーナスがそれぞれ「責任」についてどのように思考していたのか、戸谷さんとの対話のなかで明らかにしていければと考えています。また先日公開になった映画「アイヒマン・ショー」などのお話もできればと考えています。予備知識不要、今回のみの参加も歓迎なのでどうぞよろしくお願いします。
この度、当法人会員の岡安裕介さんの論文「精神分析と民俗学・民族学との思想的交錯―柳田国男の「無意識伝承」を中心に―」が『精神医学史研究』 Vol.19 no.2に載せられたので、お知らせいたします。目次は『精神医学史研究』 Vol.19 no.2にあります。
柳田国男(日本民俗学)とS・フロイト(精神分析)は、新たな学問の創設者として思想家として日本では特に人気が高く、両者の思想はしばしば併記され論じられております。しかし、両者の影響関係については今まで論じられることはありませんでした。この論文では、柳田の蔵書や学問的交流を手がかりに、彼がフロイトの思想に影響を受け、民俗学の方法論を構築していった過程が論証されています。フロイトの思想が民俗学に流入しているという事実は、精神分析、民俗学、現代思想などの幅広い分野において、少なからぬ衝撃をもたらすのではないでしょうか。
京都アカデメイアの浅野直樹です。これから述べることは私個人の見解で、京都アカデメイアの公式見解ではないことを最初にお断りしておきます。
京都アカデメイア塾の授業準備の一環で、遅まきながらマイケル・サンデル著、鬼澤忍訳『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』(早川書房、2010)を読みました。
[amazon_asin num=4152091312]
この本を読んだ直後に戦後70年安倍首相談話のニュースに触れて、日本のマスコミがこの談話に曖昧なスタンスを取っているように見える理由が自分なりにわかった気がしたので、ここにまとめます。
上に挙げた『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』の第9章「たがいに負うものは何か?――忠誠のジレンマ」の内容がそのまま使えます。そこでは、先祖の罪を償うべきかといった問いに対して、以下の2つの立場があるとされます。
道徳的個人主義 | 共同体主義 (物語的な考え方) |
|
---|---|---|
主な提唱者 | カント、ロールズ | アリストテレス、マッキンタイア |
先祖の罪を償うべきか | 償う必要はない | 償うべき |
長所 | 私の責任は私が引き受けたものに限られるという解放感 | 物語的説明により道徳を考えることができる |
短所 | 一般に認められている道徳的・政治的責務の意義がわからなくなる | コミュニティの負荷は抑圧となりがち |
戦後70年安倍首相談話は、この2つの立場が入り交じっているので、それに対する反応が曖昧になってしまうと考えられます。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
これが道徳的個人主義の典型です。
その直後の
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
は共同体主義(物語的な考え方)です。
もし前者の道徳的個人主義を貫くなら、戦後の焼け野原を生きた人はもう人口の二割程度ですし、次の世代は次の世代で生きていくので、2つ目の引用のような発想をしないでしょうし、後者の共同体主義(物語的な考え方)を貫くなら、あの戦争に直接関わっていない子や孫も自分が直接関わっていないという理由だけで謝罪をしなくてもよいということにはなりません。
どちらの立場がよいかはともかく、こうした2つの立場があると考えれば議論の土台になると思いまして、紹介させていただきました。
(戦後70年安倍首相談話は、平成27年8月14日 内閣総理大臣談話 | 平成27年 | 総理指示・談話など | 総理大臣 | 首相官邸ホームページに全文があるので、そこから引用させてもらいました)
7月11日、鉄板classe(テッパン・クラッセ)inおっとうvol.1『あさりが教えるボクらの未来』を開催しました。
今回は「夜ごはんのついでに学べる時間をつくろう」をコンセプトに、トークやディスカッションだけではなくディナーも楽しんでいただくという、いつもとはかなり趣の異なるイベントとなりました。
会場は、大阪市営地下鉄谷町線、中崎町駅から徒歩すぐの鉄板焼「おっとう」さん。京都アカデメイアが遂に大阪に殴り込みです!
第1回のテーマは「あさり」。
あさりの話?
あの、貝のあさり?
どういうこと?一体、何が始まるの?
こんな疑問が渦巻く中、それでもたくさんの方にご来場いただいた結果、最終的には何と定員を少しオーバーすることに!参加してくださった皆様、本当にありがとうございました!
講演は三部構成でした。最初のコーナーでは、池波正太郎の時代小説を話の枕にして、江戸前の代表的な食材だったあさりの産地が現在に至るまでにどのように変遷していったのかを追いました。その過程で日本の近現代史が少し透けて見える場面も。
続いては和辻哲郎の名著『風土』をきっかけに、「日本のあさり」が海を渡ってイタリアなど海外の様々な国で食べられ、そして養殖されている現状を紹介しました。和辻が「死の海」と呼んだ地中海では、何と日本国内よりも多くの「日本のあさり」が育てられているという衝撃の事実が明かされます。
そして最後に、あさりの「産地偽装」にまつわる隠れたトリックや生態系の破壊に話が及び、食のグローバル化の中で気づかないうちに静かに起こっていた問題とは何なのか、そして私たちはその問題をどのように捉える必要があるのかについて解説しました。
講演後には質疑応答とディスカッションも活発に行われ、参加者の皆様にはありふれた食べ物であるあさりを通じて社会を考える意外さと面白さを堪能していただけた様子でした。
講演終了後は「おっとう」さんが自信をもって用意した特別なコース料理を皆様に楽しんでいただきました。もちろん、今回の主役であるあさりもワイン蒸しとしてテーブルに。永遠に食べられるんじゃないかと思うくらい身が厚くておいしいあさりでした(ただ食いしん坊なだけ)!
そして、ディナーと並行しつつ、今回のもう一つの企画が開催されました。「今日の講演内容がちゃんと理解できているか復習する」という名目で大喜利に答えてもらう、その名も「復習大喜利」です!「(池波正太郎の写真を見せて)この人は誰でしょう?」「日本のあさりと西洋あさりの違いは?」など、次々出されるお題に対して、大喜利参加者の皆様は見事なまでに「ちゃんと理解できていない」答えを繰り出す展開に。異様な熱気に包まれて、もしかしたら本編より盛り上がっていたのではないでしょうか?こちらとしては嬉しいような悲しいような・・・。
とにかく異例の内容づくしだった「鉄板classe」。今後も様々なテーマで皆様と楽しく議論できるイベントにしていこうと思いますので、ご意見、ご感想、ご要望などございましたら、京都アカデメイアまで是非お寄せください。お待ちしております。
百木です。
本格的に暑い夏がやってきましたね。
第2回古典読書会のお知らせです。
<第2回京都アカデメイア古典読書会>
課題テキスト:丸山眞男「超国家主義の論理と心理」「日本ファシズムの思想と運動」
日時:8月1日(土)14~17時
場所:GACCOH(京阪出町柳駅から徒歩5分)
※参加費無料ですが、場所代としてひとり数百円程度のカンパをいただきます。
前回はマックス・ウェーバー『職業としての政治』『職業としての学問』を読みましたが、今回は戦後70年目の夏にあらためて丸山眞男を読み返す、ということで、「超国家主義の論理と心理」と「日本ファシズムの思想と運動」という二つのテキストを読みたいと思います。
いずれも『現代政治の思想と行動』(未来社)または『超国家主義の論理と心理 他八篇』(岩波文庫)に収録されています。一番手頃に入手しやすいのは岩波文庫版かと思いますが、どのようなかたちのテキストをご参照いただいても結構です。
当日はレジュメ担当者が簡単な要約発表をしますので、ご関心ある方はテキストを読まれていなくてもご参加可能です。
あらかじめ参加人数を把握したいので、参加希望の方は事前にkyotoacademeia[@]gmail.comまたは百木までご連絡いただければ助かります。ぜひお誘いあわせのうえ、ご参加ください。
ちなみにその日の18時からGACCOHさんにて「やっぱり知りたい!ニーチェ」講座が開催されるそうです。
こちらは直接、京都アカデメイアとは関係ありませんが、関心ある方はこちらもどうぞ。
以上、よろしくお願いします。
下記のとおり、読書会を開催することになりました。
専門知識がある方もない方も、 ご関心ある方はどなたでもご参加ください。
日時:6月20日(土)16〜19時
場所:GACCOH (京阪出町柳駅から徒歩5分)
課題図書:マックス・ウェーバー『職業としての学問』『職業としての政治』
※参加費は無料ですが、場所代としてひとり数百円程度のカンパを頂きます。
テキストは岩波文庫版が最も入手しやすいかと思いますが、 それ以外の出版社のものでも構いません。
日経BPクラッシクから出ている中山元訳のものも、二つの講演がひとつにまとまっていて便利かもしれません。
飛び入り参加も可能ですが、事前にある程度参加人数を把握したいので、 参加希望の方はkyotoacademeia□gmail.com(□に@を入れてください)までメールいただけると助かります。 どうぞよろしくお願いします。