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第6回京都アカデメイア読書会のお知らせ

百木です。
久しぶりに京都アカデメイア読書会を開催します。
今回の課題本は『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』です。

ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ沖海戦、沖縄戦などにおける日本軍の失敗事例の研究を通じて、日本の組織が抱える構造的問題点をあぶりだした組織論の名著とされています。この本をつうじて、日本の組織や社会がいまだに抱えている問題点や、日本文化の特質などを議論できればと考えています。
現在では経営論などの分野でも広く読まれ、参考にされているようです。戦史研究というジャンルにとどまらず、現在の日本が抱える社会問題などとも絡めて幅広く議論できればと思っています。ネット上にまとめサイトなども多数あるようですし、お時間ない方は2・3章だけ読んできていただくのでも大丈夫です。
ご関心ある方はどなたでもお気軽に参加ください。

第6回京都アカデメイア読書会
課題本:『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』
日時:4月24日(日)14~17時
場所:GACCOH(京阪出町柳駅から徒歩5分)
※参加費は無料ですが、会場代を数百円程度カンパしていただく予定です。

当日の飛び込み参加も可能ですが、事前におおよその人数を把握するため、参加希望の方はkyotoacademeia@gmail.comあるいは百木までご連絡をいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いします。

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GACCOHイベント ハンナ・アーレント×ハンス・ヨーナス~「テクノロジー」をめぐる対話

百木です。
今回は京都アカデメイアのイベントではないのですが、GACCOHさんでのイベントのお知らせです。

やっぱり知りたい!対話編 ハンナ・アーレント × ハンス・ヨーナス 「テクノロジー」をめぐる対話
日時:2月27日(土)18時~
場所:GACCOH(京阪出町柳駅から徒歩5分)
参加費:1000円
ナビゲーター:百木漠×戸谷洋志
http://www.gaccoh.jp/?page_id=6955

以前にGACCOHさんでアーレント講座を担当した百木と、ヨーナス講座を担当した戸谷洋志さんとのコラボイベントです。
第2回にあたる今回は、アーレントとヨーナスがそれぞれ「テクノロジー(科学文明)」をめぐってどのような思索を展開していたのかを探ります。原発問題、医療技術、宇宙開発など、われわれの生活にも深い関係のあるテクノロジーをめぐる哲学的対話が行われるはずです。同時代を生きたアーレントとヨーナスは、当時の最新テクノロジーに対してどのような発言をしていたのか。両者の技術論にどのような共通性と差異性があるのか、戸谷さんとの対話を通じて明らかにしていければと考えています。
予備知識不要なので、関心ある方はどなたでもお気軽にご参加ください。参加希望の方はリンク先の申し込みフォームからご予約ください。よろしくお願いします。

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小林哲也『ベンヤミンにおける純化の思考』出版記念放送を行いました

 
12月13日(日)、ニコニコ生放送にて小林哲也氏の『ベンヤミンにおける純化の思考』の出版を記念して特別番組を放送しました。

出演:
小林哲也氏
大窪善人(司会)

『ベンヤミンにおける「純化」の思考』は、「純粋さ」と「純化」をキーワードにしてベ­ンヤミンの新たな解釈を分厚い記述によって呈示する思想史研究です。

放送では、まず小林さんがこの本を書くきっかけを、個人的/社会的な出来事とをクロスさせて語っていただきました。小林さんがベンヤミンに関心を持った1990年代には、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」論に象徴されるような「もはや大きな社会の転換はない」、「あとはそこそこの改良がなされるだけだ」といったポストモダン的雰囲気があった。一方、小林さんは、ベンヤミンの思想に、むしろその「外部」へと突き抜ける不思議な魅力を感じたといいます。

思想史研究とは何かということも伺いました。その特徴を一言で表すと「過去に戻る」ことにあります。思想史研究は、単にある思想家の作品を解釈するだけではなく、当時の時代背景や議論の参加者たちとの関係を踏まえることが重要になるからです。たとえば、本書第1部では、ベンヤミンの第一次世界大戦に対する見方を、彼の論争相手であるマルティン・ブーバーというユダヤ系神学者・哲学者や、「生の哲学」という生き生きとした体験を重視する思想潮流と対比しながら明らかにします。

ブーバーとの対比から現れるキーワードは、シンボルとアレゴリーだと言います。個人や共同体にとっての重要な体験の意味(とりわけ戦争や災害などの深刻な出来事)を具体的なモノとして残したいという傾向に対して、一方のブーバーは体験を言語に置き換え、そして戦争をユダヤ民族の体験として肯定します。他方、ベンヤミンは、多義的に解釈しうる寓意や暗喩にあえて留まって、戦争を拒絶します。ベンヤミンにとって重要なのはシンボルや言葉で表されたものではなく、むしろ、「言葉で表現されえなかったもの」の方にあると。

放送の後半では、ハイデガーやシュミットといった決断主義の思想家との対決について伺いました。ハイデガーらが決断を重視するとすれば、他方のベンヤミンは決断の前で躊躇すること、「不決断」の意義を訴えようとしているようにも見えます。しかし、小林さんが強調するのは、ベンヤミンが、神と人間とを対比することで、人間が決断を下すとしても、それはつねに有限なものであることを指摘する点です。

さて、こうしたベンヤミンの、つねに今ここではないどこかへと逃れ、突き抜けようとする志向は、一方ではある宗教性を伴いながらも、他方で、社会の中で一種の希望を求める声に応答しようとするものであるのかもしれません。

(文・大窪)

 

ベンヤミンチラシ

ゲスト・プロフィール:こばやし てつや 1981年、北海道札幌市に生まれる。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程­修了。専攻、ドイツ文学・思想。現在、京都大学非常勤講師

 

読書会:井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』レポート(2)

 
会員の岡室です。本日は、宇都宮共和大学専任講師の吉良貴之さんをゲストにお招きして、井上達夫著『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』の読書会を開催しました。

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もっとも、同書で提示されている論点は、日本のいわゆるリベラル派と称される人々の問題点、憲法9条削除論から、ロールズやサンデルの正義論に対する批判にいたるまで、非常に多岐にわたるものです。

そうした点を踏まえ、はじめに、吉良さんの手書きレジュメによって、論点整理と井上説への疑問点を提示していただき、会場では同レジュメによる問題提起を中心に、活発な質疑応答が展開されました。

また、吉良さんには、井上氏が、この本を書かれた背景などについても詳細にご説明いただきました。

その他、当日に議論された内容としては、まず、井上氏が提示する「正義概念」の構想に関して、そうした主張が、イスラムによるテロなどと、いかに対峙できるのかといった批判や、そもそも、普遍的な正義概念は存在しうるのかといった根本的な疑問が提起されました。

また、9条削除論に関しても、リベラル派の原理主義的護憲派による「大人の知恵」としての9条擁護論では駄目なのか、といった反論や、憲法解釈論のあり方にも立ち入った深い議論がなされました。

加えて、徴兵制の是非に関する議論なども活発に展開され、読書会として大変な盛り上がりを見せた会であったと思います。

当日はご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
 

読書会:井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』レポート

百木です。12月6日(日)に開かれた読書会、井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』のご報告です。今回は、若手法哲学者の吉良貴之さんをお招きしてのイベントになりました。約15名ほどの方にご参加いただき、予定時間を超えて熱く盛り上がりました。京都アカデメイア会員である岡室さん・大窪さんからの充実したまとめ報告や、吉良さんからの手書きレジュメによる報告もあり、参加者からも活発に意見や質問が出て、良い雰囲気の読書会になったのではないかと自負しています。

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課題本は、タイトルこそ挑発的ですが、中身はこれまでの井上達夫氏の思考を総括するような、なかなかに濃厚で硬派な内容になっています。第1部では今日における「リベラル」の弱体化の理由が探られると同時に、リベラリズムの本義や正義論についての原理的な解説がなされるいっぽうで、今年大きな話題になった安保法制の問題やその他さまざまな社会問題(天皇制、戦後責任、歴史認識、外交問題など)へのアクチュアルな言及がなされています。また第2部では井上達夫氏の学生時代から現在に至るまでの思考変遷を振り返りながら、正義論の高層が詳しく語られています。

今回、この読書会を企画したのは、この本を細かく検討しながら読むというよりも、いわばこの本で語られていることをたたき台として、今年大きな話題になった安保法制や「立憲主義」や「法の支配」の問題について、今年のうちに皆でわいわいと(しかし真剣に)議論しておきたいなという思いがあったからです。

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周知のとおり、今年の国会では、参考人に呼ばれた憲法学者三名ともが「この安法法案は違憲である」と宣言したにもかかわらず、その「違憲」な安保法制が可決されてしまいました。これに対して世論調査などでは国民の7割がこの安保法制成立に疑問をもっていることが明らかにされています。しかし、いっぽうでこの法案を強硬に可決した安倍政権の支持率はほとんど下がらず、相変わらず4割以上の支持率を維持しています。

この奇妙な事態は一体何を意味しているのか。この問題を受けて、今年は「立憲主義」というワードが日本中に膾炙しましたし、安保法制反対のデモ運動を盛り上げたSEALDsの活動なども大きな話題になりました。「安保法制」や「憲法」や「立憲主義」について解説した本もたくさん出版され、それに関するシンポジウムや勉強会なども各地で開催されました。このような動きが起こってきたことは、現在日本が置かれている危機的な状況をよく示していると同時に、「リベラル」側の新たな展望を示すものでもあったと言えるでしょう。

しかし一方で、個人的には、結局のところこの国にはいつまでたっても「立憲主義」や「法の支配」などというものは根づかないのではないか、という気もしてしまうところがあります。今回の安保法制が「違憲」であり「解釈改憲」であるのと同時に、そもそも憲法9条下における自衛隊もまた厳密には「違憲」的な存在であり「解釈改憲」のもとに成り立っているのではないか、という議論も最近では聞かれるようになりました。こうした事柄は、いずれも日本における「立憲主義」や「法の支配」、あるいは「リベラリズム」や「正義」の成立困難さを物語っているように思えます。

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井上氏はこの本のなかで真のリベラリズムを成立させるためには、単に「自由」(とりわけ消極的自由=○○からの自由)を考えるだけではなくて、「正義」について考えなければならない、ということを繰り返し説いています。それは言いかえれば、真のリベラリズムを実現するためには、「消極的自由」(○○からの自由)のみならず「積極的自由」(○○への自由)をわれわれは実践していくことが必要だということです。そのためには、われわれが「政治」や「権力」を政府や統治者に任せてしまうのではなく、われわれ自身が「政治」や「権力」の担い手にならなければなりません。

これはいわゆる共和主義的な伝統を汲む立場ですが、さらにそこに普遍的な「正義」への志向が加わっているところが、井上達夫氏の法哲学の肝です。つまり普遍的な正義論と共和主義的な自治の伝統をかけあわせたところに(ロールズ的なリベラリズムとサンデル的なコミュニタリアニズムをかけあわせたところに、と言ってもいいのかもしれませんが)、井上達夫流の法哲学の特徴がある。この場合の「正義」は、もしかするとわれわれ人間には、少なくとも今のところ、認識不可能・到達不可能なものであるかもしれないが、しかしそのような客観的で普遍的な「正義」(=X)が存在すると想定するところにのみ、真のリベラリズムは実現されうる。

一見、奇をてらったかのように見える「憲法9条削除論」や「徴兵制賛成論」などの現状憲法に対する彼の提案も、そのようなリベラリズム×正義論という理論のうえに出てきたものであることを理解しておく必要があります。しかし結果的にはそのような彼の提案が、まさに安倍政権が現在進めようとしている政策を後押しするものになっているのは皮肉なことです。井上氏が「偽善的でエリート主義的なリベラル」を上から目線(=別種のエリート主義)で叩くことによって、結果的にはこの本が現在の政権を手助けする御用本のような役割を果たしていることは興味深い現象だなぁと感じました。

と、ここまで好き勝手に書かせてもらいましたが、以上は今回の読書会でなされた忠実な議論のまとめというよりも、私百木個人の感想・印象を書かせてもらったものです。実際にはこれ以外にもいろいろたくさんの意見が活発に出されていたのですが(そもそも普遍的な正義などというものは成立するのか?井上氏のリベラル批判は妥当なものか?憲法9条下における自衛隊の存在は違憲なのかどうか?正義論の核をなす入れ替え可能性とはどういうことか?正当性と正統性の違いについて、などなど)、それらの議論をすべてまとめきる力量はとてもありませんので、こういったかたちで勘弁していただければと思います。

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ちなみにこの本のタイトルの元ネタである「私のことを嫌いになっても、AKBのことは嫌いにならないでください」という元AKBの前田敦子さんの発言は、この本のタイトルである「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください」とは全く逆の趣旨のことを言っていますね。つまり前田敦子さんの発言は、自分のことを嫌いになっても、自分が所属するAKBというグループのことは嫌いにならないでくれ、と言っているわけですが、この本のタイトルは、自分以外の馬鹿なことを言っているリベラル派のことは嫌いになってもいいけれども、自分が主張するリベラリズムのことは嫌いにならないでほしい、と言っているわけで完全にベクトルが逆だなと。そのあたりにもこの本の「上から目線のエリート主義」的な特徴がよく表れているのではないかと感じたりしました。もし前田敦子さんの発言に倣うならば、『井上達夫のことは嫌いでも、法哲学のことは嫌いにならないでください』が正しいタイトルだったのではないでしょうか。

明日放送です。

 
12月13日(日)16:00から、ニコニコ生放送で「小林哲也『ベンヤミンにおける「純化」の思考』から考える」を放送します。

ベンヤミンチラシ

会場はこちらから
詳細は以前アップしたお知らせをご覧ください。
http://kyoto-academeia.sakura.ne.jp/blog/?p=4350

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小林さんとの打ち合わせの風景。
かなり大部な本ですが、がんばって紹介したいと思います。
ぜひご覧ください!

 

【ニコ生イベント】小林哲也『ベンヤミンにおける「純化」の思考』から考える

 
京都アカデメイア会員 小林哲也さんの新著 『ベンヤミンにおける「純化」の思考』の出版を記念してニコニコ生放送にて特別イベントを開催します。
 
ベンヤミンチラシ
 
芸術批評、都市論、言語論、歴史哲学、法と暴力の理論など多様な作品を残し、現在の思想・哲学に多大な影響を与えてきた思想家 ヴァルター・ベンヤミン。一つの理論体系に収斂することを拒絶するかのような彼の作品群は今もって様々な謎や魅力的な輝きに満ちています。   

『ベンヤミンにおける「純化」の思考』は、「純粋さ」と「純化」をキーワードにしてベンヤミンの新たな解釈を呈示する思想史研究です。
放送ではベンヤミンの思想や同時代の社会や思想家との応答について掘り下げながら、現代社会を考えるヒントについても探ります。/大窪善人

日時:2015年12月13日(日)16:00~17:30
出演:小林哲也氏、大窪善人(司会)

ゲスト・プロフィール:こばやし てつや 1981年、北海道札幌市に生まれる。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。専攻、ドイツ文学・思想。現在、京都大学非常勤講師(著者紹介より)

放送はニコニコ生放送 京アカチャンネルにて行います。
ぜひご覧ください。

※試聴にはニコニコ動画の登録(無料)が必要です。アカウントをお持ちでない方はご登録をお願いします。
 

京都アカデメイア第5回読書会のお知らせ

百木です。次回読書会のお知らせです。

今回は、宇都宮大学専任講師の吉良貴之さんをゲストにお招きして、井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』の読書会を行います。

挑発的なタイトルで話題になっていたこの本ですが、中身は結構本格的で、法哲学者・井上達夫氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)のこれまでの研究を振り返りつつ、リベラリズムが現在置かれている状況についての包括的な議論がなされています。「憲法9条削除論」や「徴兵制賛成論」などの大胆な提案もなされているので、この本の読書会という形式をとりながら、今年話題になった安保法制や立憲主義や憲法9条の問題についても議論できればと思っています。

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ゲストの吉良貴之さんは法哲学がご専門であり、とりわけ法哲学における「世代間正義」の問題について詳しく研究をされています。この本の専門的な部分についての解説などもお願いしつつ、吉良さんが現在関心を持たれている「法と科学と立憲主義」についてもご報告をいただけるとお聞きしています。吉良さんは今年出版された、シーラ・ジャサノフ『法廷に立つ科学ーー「法と科学」入門』(勁草書房)の監訳者のひとりでもあり、最近では「法と科学」の関係についていろいろ考えを深めておられるとのことです。

できれば課題本を読了してきてもらうのが望ましいのですが、今回の読書会については、本の内容を細かく議論するというよりも、この本を叩き台としながら、「リベラリズム」「立憲主義」「法の支配」などについて広く参加者で議論をできればと考えていますので、必ずしも課題本読了を参加条件とはしません。こういったテーマに関心ある方であれば、どなたでもお気軽にご参加いただければと思います。この機会に吉良さんとお話ししてみたいという方の参加も歓迎です。

<第5回京都アカデメイア読書会>
日時:12月6日(日)14時~17時
場所:GACCOH(京阪出町柳駅から徒歩5分)
課題本:井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムのことは嫌いにならないでください』(毎日新聞出版、2015年)
参加費:場所代としてひとり数百円程度のカンパを頂きます。

当日飛び込み参加も歓迎ですが、できれば参加予定の方は事前にkyotoacademeia[@]gmail.comまでご連絡いただければ幸いです(レジュメ準備など人数把握のため)。問い合わせ・ご質問もこちらのアドレスまでお願いします。

※参考リンク
緊急提言 憲法から9条を削除せよ(BLOGOS) – 井上達夫(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
井上達夫・東大教授(1)安保法案議論の不毛、その原因は? (毎日新聞)
井上達夫・東大教授(2)リベラリズムとは「他者に対する公正さ」(毎日新聞)
井上達夫・東大教授(3止)ハーバード白熱教室、その先に……(毎日新聞)

 

 

藤原辰史『食べること 考えること』読書会レポート

百木です。10月28日(水)に第4回京都アカデメイア読書会(課題本:藤原辰史『食べること 考えること』)を開催しました。著者の藤原辰史先生をゲストにお招きしての特別回でした。

藤原辰史先生は、「食」の歴史研究と「ナチス・ドイツ」の歴史研究を掛けあわせた、とてもユニークで面白い研究をされています。『食べること 考えること』はこれまで藤原先生がいろいろな媒体に書かれた文章を集めて作られた本で、さまざまな切り口から「食」や「農業」の問題が論じられています。どの文章も手頃な短さなので読みやすいですし、散文集なのでその時々で気が向いたページを開いて、ちょっとした空き時間に好きなところを読む、という楽しみ方が可能です。持ち運びやすいサイズで装丁も素敵です。

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この本を読んでまず印象的なのは、「食」をめぐる生々しい、「生」の匂いに満ちた、ときに猥雑な描写が多くなされていることです。食べ物とはつまるところ生物の死骸の塊である、という冒頭の文章から始まって、現代の衛生化された食生活のなかでは隠されがちな、腐敗や殺傷や収奪の問題が次々と語られていきます。普段の私たちの食生活を支えているものの背後には何が隠されているのか、パッケージ化された食品はどういった経緯をたどって私たちの食卓に届いているのか、私たちが抱えている「食」の問題の本質とは何なのか、そういった問いに筆者は鋭く切り込んでいきます。

そこから炙りだされる資本主義や全体主義の問題、国民の食生活をすべて管理しようとする国家の問題、「健康」や「清潔」を過剰に意識してしまう現代社会の問題、などが次々に明らかにされていく。これはつまるところ、「食」と資本主義の問題、あるいは「食」と全体主義も問題なのではないかなというのが私(百木)なりの理解です。

そのことを考えるときに示唆的なのは、ナチス・ドイツが残虐な侵略行為や虐殺行為を行ったいっぽうで、国民の「健康」に対して過剰なまでに気を配る社会であったという事実です。「健康」と「清潔」こそがナチス・ドイツのキーワードであり、それはある意味で現代の「健康」ブームや「清潔」ブームを先取りするものでもあった。その意味では、現代社会もまた(潜在的に)「ナチス的」であると言うこともできる。藤原先生が『ナチスのキッチン』で示されたような、ナチスドイツ下において台所を極限まで「効率化」しようとする運動があったという事例は、そうした観点から見たときに非常にアクチュアルな意味合いをもってくる。この本にも収録された『ナチスのキッチン』のあとがきのなかで、ナチスドイツ下の台所における主婦と収容所における囚人がある種のアナロジーにおいて語られている箇所は、(大変ショッキングですが)印象的です。

以上はあくまで私(百木)なりの感想ですが、読書会ではそうした感想に対して藤原先生から「国家」と「食」の問題、あるいは「資本主義」と「食」の問題について、さまざまに具体的な例をあげながら応答がありました。食育基本法、TPP、農業問題などの時事ネタとともに、藤原先生の体験談、普段考えられていることなどがユーモラスに語られ、参加者一同それに興味深く耳を傾けました。質疑応答でも予定時間を大幅に超えて活発に議論がなされ、非常に充実した読書会になったのではないかと自負しています。

読書会のはじめに藤原先生が仲間の先生方とともに主宰されている自由と平和のための京大有志の会の宣伝があり、そちらのほうでも今度、さまざまな読書会や勉強会のイベントが企画されていることが紹介されていました。「鶴見俊輔を読む会」京都大学11月祭でのシンポジウムなどが企画されているそうなので、関心ある方ははぜひ。京都アカデメイアでも引き続き、こうした読書会や勉強会など少しずつ企画していければと考えていますので、応援いただければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。_MG_4979 _MG_4980 _MG_4982 _MG_4983

京都アカデメイア読書会第4回(特別篇)のお知らせ

百木です。10月の読書会のお知らせです。
10月の京都アカデメイア読書会は特別篇として京都大学人文科学研究所の藤原辰史先生をゲストにお招きして、藤原先生著『食べること 考えること』(共和国、2014年)の読書会を行います。
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藤原先生は、「食べること」の歴史研究(農業史)とナチスの歴史研究をご専門とされています。主なご著書に『ナチスのキッチン』(水声社、2012年、第1回河合隼雄学芸賞受賞)、『ナチス・ドイツの有機農業 「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」』(柏書房、2005年)、『カブラの冬 第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆』(人文書院、2011年)などがあります。

参考:藤原辰史さんインタビュー(みんなのミシマガジン)

『食べること 考えること』は、藤原先生がいろんな媒体に書かれた「食べること」に関する文章をまとめられたもので、エッセイ集のように軽やかに読ませつつ、私たちの食生活や社会のあり方や歴史の成り立ちについて深く考えさせてくれる一冊になっています。今回の読書会では、この本の感想を語り合いながら、現代における「食」のあり方、「生活」のあり方、そして現在の社会や政治の問題についてもディスカッションできればと考えています。

また藤原先生は、この夏に有志の京大研究者の方々とともに「自由と平和のための京大有志の会」を立ちあげられました。「戦争は、防衛を名目に始まる」という一文から始まる声明書は、全国的に大きな話題を呼び、大手新聞などにも取り上げられました。今回の読書会は、この「自由と平和のための京大有志の会」との共催イベントとなっています。イベントでは、『食べること 考えること』の感想や「食」の話題から入って、少しずつ現在の日本をめぐる政治や社会の状況についてもオープンに議論する場にしていくつもりです。

ご関心ある方はどなたでもお気軽にご参加ください。(事前申込不要) ※当日、少し遅めの開催になりますが、会場入口は19時半~20時半まで開いている予定です。その間の時間帯にお越しください。

<第4回京都アカデメイア読書会 特別篇>
ゲスト :  藤原辰史准教授(京都大学人文科学研究所)
共催  :  自由と平和のための京大有志の会
課題本 : 『食べること 考えること』 (共和国、2014年)
日時 : 10月28日(水)20時~22時
場所 : 京都大学人文科学研究所1F第一セミナー室 

食べること