アジール論を読んでみたい(3)

引き続き『手づくりのアジール』(晶文社,2021年)のなかの百木漠×青木真兵「対談2 これからの「働く:を考える」で印象に残った箇所を紹介します。

まず、百木さんが紹介するアーレントの「労働=食うため」「仕事=自分を超えたパブリックな世界をつくるため」「活動=他者との対話・議論・コミュニケーションするため」の3分類のうち活動を重視する「活動的生(Vita Activa)」の考え方が紹介されます。
現代は「労働」が重視され、生産性のない人はいらないとされます。社会のあらゆる領域を経済論理、市場論理で埋め尽くそうとする新自由主義は、この感覚をどんどん推し進めます。

日本で新自由主義を乗り越えるためのヒントとして対談で語られるのが、網野善彦の描き出した「公界(くがい)」の考え方。公界は、国家や社会の主従関係などの枠組みからあふれた「無縁」の場で、神社・仏閣などの宗教施設の境内で、漂泊者、商人、行者、芸能人、遊女なども集まり、そこが「市場」になってさまざまな交換が行われていた、とされています。こういう市場だと、怪しげ(?)な人も排除されない感じ、生きていける感じがしていいですね。

現代では、新自由主義、資本主義の「外部」を、アーレント的、マルクス的、網野的、寅さん的、青木さん的にいろいろな形でつくっていくという点に、アジールの可能性が語られます。
「一つの論理だけで社会を埋め尽くされてしまうと、あっという間に全体主義になってしまう。気をつけなくてはいけないと思います」という対談の最後の百木さんの言葉は、心に留めて、活動していきたいな、とあらためて思いました。 (紹介:古藤隆浩)

 

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