佐藤俊樹『桜が創った「日本」』:「桜」のラビリンス

大窪善人


 

世中に たえてさくらのなかりせば 春の心は のどけからまし(在原業平)

桜が古から日本人のこころを魅了してきたことがよくわかる歌ですね。千年前の人たちもきっと今と同じような桜の風景を愛でてきたんだなと、そんな歴史ロマンすらかき立てられます。

さて、しかしそこで納得して終わらないのが、ものを考えたり学問をするということだったりします。ある常識があるときにの、そこでスルーせずに、あれっと思ってそこで立ち止まってみる。それが学びへの第一歩です。

“常識をうまく手放す”こと

社会学者の佐藤俊樹さんはあるとき、その”常識”に引っかかりました。そして、調べていくうちに、桜は今と昔でまったくちがう見られ方をしていることがわかったといいます。

いま全国で咲いている桜は、そのほとんどが「ソメイヨシノ(染井吉野)」という品種であると言われていますが、じつは、このソメイヨシノは、幕末から明治期に、江戸から全国に広がったものなのです。つまり、いまわたしたちが普通に「桜」だと呼んでいるものの多くは、ほんの100年くらいの歴史しかないということになるのです。

では、それまではどうだったのかといえば-桜には様々な種類があって、大きくわけてヤマザクラ、エドヒガン、マメザクラ、カンヒザクラなどがあります。分布も地域によって様々で、ひとつの種類が覆い尽くすような風景ではなかったようです。ここでひとつ、わたしたちが持っている”常識”が外されれるわけです。

今みんながイメージする桜の風景はソメイヨシノの桜ですね。ソメイヨシノの特徴はなんといっても、全部の樹の桜が一斉に咲き乱れ、そして、十日ほどですぐに散る、というものでしょう。だから、この季節には、名所の桜の樹の下は、花見客でごった返しになるわけです。満開になった「桜の森」はじつに見事ですし、わずかの間しか咲かない散り際の美しさは、日本人の美意識の象徴としてよく引き合いに出されます。

一方、その他の桜では、一ヶ月近くかけて徐々に開花したり、また桜の名所では、色々な種類の桜が順番に花をつけるのをのんびりと楽しんだりしていたようです。もし平安時代にソメイヨシノしかなかったら、テレビも新聞もないから、多くの人は開花を知ることもなく見逃してしまったかもしれません。

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「言説分析」とはなにか?

さて、ここまではよくある雑学みたいな話ですが、ここからがこの本の真骨頂です。

本書で著者が依拠するアプローチは(この本では詳しく説明されませんが)「言説分析」と呼ばれるものです。予備知識として説明しておくと、「言説分析」は、ある事柄についての言葉や書かれたものを分析して対象に迫っていく方法です。あらゆる「語り(言説)」は、自由な主観にもとづくようにみえても、じつはかならずその社会や時代によって制約を受ける(「存在の被拘束性」といいます)もので、そうした拘束する構造や作用を明らかにするのが言説分析です。

ちなみに、よく似たアプローチに「知識社会学」という方法があります。言説分析との違いを強調しつつ平たく言ってしまえば、知識社会学は分析する主体と対象についての語りとの間に境界を区切ります。つまり、分析する人は、対象についての語りから一歩引いたところにポジションを取って、「その語りは云々の構造が前提になっている」みたいに、批判したりするわけです。

他方、「言説分析」ではそのような境界を引きません。平たく言うと、知識社会学では特権的だった、観察する主体というポジションは、言説分析では、いわば一個の参加者として、分析される対象と同じ位置に落とし込まれます。つまり、言説分析では、ひとつの言説の宇宙以外の現実や事柄は存在しない、と考えるわけです。

具体的にはどうなるかと言うと、たとえば、「昔はちょっと過激な内容のテレビ番組が放送できたのに、今はできなくなってつまらない」という語りがあったとします。普通に考えればそれはたんに事実が語られているだけにみえます。しかし、言説分析的にみれば、この語り自体によって、「ちょっと過激な内容のテレビ番組が放送できない」という状況そのものを作り出している、とみることだってできるのです。「ひとつの言説宇宙」とはそういう意味です。

言説宇宙の「桜」

では、この言説分析のアプローチを「桜」の分析に当てはめるとどうなるのか。それが本書のおもしろいところです。数多くの文献や資料にあたって分析されているので、詳しくはぜひ読んでいただければと思いますが、少しだけ紹介します。

現在の「桜」、つまりソメイヨシノは100年くらい前に誕生したものだということでした。そこで著者は次のように問います。

なぜソメイヨシノは「桜」とよばれたのか? 極端な話、もしソメイヨシノの花が従来の桜のイメージを本当に吹き飛ばすようなものであれば、それは「桜」とよばれなかったはずである。

一見当たり前のことに思えますが、しかし、この問いは、桜の分類学上の意味以上の意味をもちます。ソメイヨシノがその画期的な特徴にもかかわらず、なお「桜」と呼ばれ続けたのはなぜなのか、という問いです。

咲きみちて 花より外の 色もなし(足利義政)
花の雲 鐘は上野か 淺草か(松尾芭蕉)

これらの言辞は二重の意味で興味ぶかい。
まず、ソメイヨシノを見慣れ、それが桜のあたりまえの姿だと信じている人には、これらは特にぴったりした表現に聞こえる。[…]そんな桜の景色が昔からずっとあり、みんながそういう「春の桜」を見てきたかのように誤解させてしまう。[…]ソメイヨシノが広まることによって、ソメイヨシノの咲き方に特にあう言説が選択的に記憶され、「昔からこうだった」と想像されるようになる

しかし、ここにはもうひとつ興味深い側面があります。

ソメイヨシノの出現以前に、ソメイヨシノが実現したような桜の景色を何人もが歌っていたのだ。この桜が現実にした光景は[…]桜の美しさの理念として、もともと存在していたのである。

いうまでもなく、こうした分析自体も単一の言説宇宙の中に位置づけられます。その上で考えれば、ここには現実と想像との間に何重もの交叉があることに気づきます。

さらに探索の範囲を広げてみると、ある”暗黙の前提”が明らかになってきます。「桜」は、”別れと出会い”の表現としてよく持ち出されます。しかし、なぜ「桜」が出会いと別れの表現になるなのでしょうか?

その答えは、「桜」の咲く3,4月が卒業と入学、退職と入社の季節だからでしょう。しかし、その関連が成り立つためには、近代以降の学校制度の整備や会社への就職が一般化していなければなりません。つまり、現在「『桜』の美しさ」としてわたしたちが語っていることの内容は、”現代”の”日本”というコンテンポラリーかつナショナルな空間を前提としいるということがわかります。

このように考えると、「桜」の魅力も、より深みのあるものとして感じられてくるのではないかと思います。

 

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