「マジカル・プランツ」から考える――「備え」としての学びへ

みなさんは「マジカル・プランツ」という言葉をご存知でしょうか。この聞きなれない言葉は、「食虫植物」、「多肉植物」、「ティランジア」といったユニークな観葉植物の総称です。食虫植物愛好家兼ライターである星野映里さんの『大好き、食虫植物。―育て方・楽しみ方』が火付け役となって、とくに若い女性の間でトレンドになってきているそうです。今年、新たに『マジカルプランツ―食虫植物・多肉植物・ティランジアをおしゃれに楽しむ』(こちらは木谷美咲名義) が出版され、さらに話題を呼んでいます。

食虫植物といえば、「ハエトリソウ」や「ウツボカズラ」、「モウセンゴケ」などがポピュラーな植物ですが、これまでは高価で入手が難しかったり、栽培方法が十分に確立されていなかったりして、一般には手を出しにくい状況がありました。しかし、最近では、ホームセンターでも取り扱っているケースも増えてきているみたいです。今回は、この「マジカル・プランツ」から、学びへのヒントを引き出してみようと思います。

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Kunstformen der Natur“, Nepenthes

まず、食虫植物とは文字通り「虫を食べる植物」のことです。このように言うとグロテスクなイメージがありますが、よく観察してみると、その独特で精妙な生態に驚かされます。エコロジー思想のルーツであるエルンスト・ヘッケル(生態学,Ökologieyという言葉を造語)の『自然の芸術学的形態』,Kunstformen der Natur の中には、ウツボカズラの図が収録されていますが、外形だけではなく、その生態的メカニズムも驚異的なものがあります。また、もしかしたらそれが、虫たちだけではなく、人をも惹き寄せる魅力なのかもしれません。

『食虫植物の世界』(田辺直樹,以下の食虫植物についての記述の多くは本書に依っています)によれば、食虫植物=マジカル・プランツが他の一般の植物と異なっている点は、第一に、虫を捕まえる器官を備えていることです。そして、もう一つは、捕らえた虫から養分を吸収する仕組みを持っていることです。分布地域は世界中で、主に温帯地域に自生する。たとえば、ウツボカズラはマレーシア、インドネシア、タイ、フィリピン、ラオスなどの東南アジアからマダガスカルまで100種類以上が確認されています。大きさは様々で、大型のものではネズミを捕食した例もあります。

さらに、その捕虫器(ピッチャー)は巧妙な仕組みを備えています。ウツボカズラの場合、葉の先が袋状になっていて、中に液体が溜まっています。そして、入り口や蓋の部分からは蜜を分泌して虫を誘引します。そこに誘き出されて穴に落ちて溺れ死んだ虫から、養分を吸収して栄養を得ます。袋の内壁は、虫が這い上がれないように滑りやすい構造になってて、さらにロウ質が分泌されています。袋の中の液体は、根や茎を通じて常に一定量になるように調節されています。

ハエトリソウについても見ておきましょう。こちらは、口のように開いた葉が捕虫器で、この内側から虫を誘き寄せる蜜が分泌されています。葉の内側にはそれぞれ感覚毛が上下3本ずつあり、それに虫が2回触れると、素早く閉じて虫を捕らえるようになっています。なぜ2回かというと、虫が十分に捕虫器に進入してから捉えるためです。0.5秒ほどで葉は閉じられます。ちなみに、ハエトリソウは初夏に白い花を咲かせます。

以上、食虫植物の生態について詳しく見てきましたが、これらは、われわれに対してどのような学びのヒントを与えてくれるのでしょうか。ところで、ここで興味深いことは、じつは食虫植物にとって「捕食はオマケのようなものである」という事実です。どういうことか、説明しましょう。食虫植物の生息地は、熱帯のジャングルの中のように日当たりの悪い場所だったり、土壌から十分な栄養を吸収しにくい環境だったりします。そこで足りない分の栄養を食虫によって補うのですが、じつはほんの僅かでよく、虫を食べ過ぎると逆に栄養過剰で弱ってしまい、ひどい場合には枯れてしまいます。また、とくにハエトリソウの場合には、仕掛けを動かすのに大きなエネルギーを消費するため、何度も開閉させるとそれだけでも枯れてしまう原因になるのです。

つまり、食虫植物は、あれだけの周到で大掛かりな仕掛けを準備していながら、しかし、実際には、ほんの少しの栄養を補う程度の役目しか与えられていないのです。むしろ、そうでなければ自分自身の生存さえ危うくしてしまいかねません。ここには、目的のための過剰とも思えるような備えと、その結果として得られる成果との間の、奇妙とも思えるようなアンバランスさがあります。

さて、このマジカル・プランツのもつアンバランスさに、「学び」というものの性格との類似点を見出すことはできないでしょうか。といっても、ここで「学び」とはどのようなものかを明らかにしなければ抽象的な話に終始してしまいます。ここでは、物ごとをより深く考えるということと結びつけて見たいと思います。周知のように、西洋の知的伝統には「リベラル・アーツ」という考え方があります。リベラル・アーツとは、文学・論理学、修辞学の三科、それに算術、幾何学、天文学、音楽の四科からなる学問分野の体系のことです。そして、これらを修得することが教養、すなわち、普遍的な学知を探究することによって、人間として自由になるということだと考えられていました。

それは、すでにある問題をいかに早く解決できるかといったようなタイプの学びとは、あるいは、いわゆる学問における効率性や有用性とは別の方向性を示していると思われます。むしろ、必ずしも最終的な答えは出せないかもしれないけれども、考えるべき重要な問いがある、ということを含意しているのではないでしょうか。もちろん、実際に直面する問いというのは、おそらく局所的で小さなものに過ぎません。が、しかし、そうした小さな問いを解くためにこそ、非常に広範でかつ深い教養を要請するのが、リベラル・アーツの基礎にある考え方ではないでしょうか。

それでは議論をまとめましょう。ポイントは、ある種の学びや教養は、食虫植物のアンバランスな生態との類推として捉えられるのではないかということでした。いずれも、ほんの僅かな結果のために、莫大な備えを必要としています。一方は、虫を、そして他方は学びという獲物を待つために。もしも両者に「マジカルな」魅力があるとするなら、それは、じつはそうした「備え」の方にあるのかもしれません。

大窪善人

 

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