第4回 京アカゼミ「アジールの現在と未来」レビュー!


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昨年から始まりました、京都アカデメイアの会員による持ち回り形式の自主ゼミ企画、京アカゼミも、今回で4回目を無事迎えることができました。

今回は、去る2月24日の総会後に、10名弱の方にご参加いただき、会員の舟木徹男さん(龍谷大学非常勤講師)から「アジールの現在と未来ー網野善彦の無縁論をどう読むか?」と題してご報告いただきました。

一般的に、アジールとは、前近代社会において世界各地に数多く見いだされうる「(犯罪者や社会からの離脱を求める人々が)庇護を享受できる神聖な平和の場」であると定義されます。

古くは、旧約聖書に登場する過失致死犯の「逃れの町」や、離縁を望む女性が駆け込んだとされる鎌倉の東慶寺などがありますが、現在でも各国大使館における外交上の治外法権などに、その名残が見られるそうです。
 

 
当日のご報告では、舟木さんから、こうした西洋におけるアジールの思想的背景には、歴史学者の網野善彦によると、「(人が人を支配することに抗する原始・未開以来の人類史的原理としての)無縁の原理」が存在している点や、これまでも様々な研究において、(内戦における中立地としての)温泉、教会による難民の庇護、ハンセン病療養所での自立運動などに、同原理に基づく新たなアジールの発露が散見されるなどの指摘がある、といったお話がありました。
その上で、管理社会化が進む現代社会において、新たな公共圏創出の場としても、いかなる形でアジールが存在しうるのかという問題提起がなされました。




(1970年01月01日)

対して、会場の参加者からも、こうしたアジール概念の拡張可能性をめぐって、そもそも網野の「無縁の原理」が、西洋社会における「自然法」思想に対応しうる概念として理解しうるのかといった、かなり学問上こみいった論点にまで立ち入った活発な質疑が展開されました。

議論の中身に、ついていくのがなかなか大変なところもあったかと思いますが、今回初めて参加された一般の方からも、積極的な質問があり、また、報告者の舟木さんも全ての問いに対して誠実にご回答いただき、とても有意義な時間でした。

参加者の方々におかれましては、今回もお忙しい中、誠にありがとうございました。今年も、京アカゼミは、3ヶ月に1回のペースを目処に引き続き開催していく予定ですので、また皆様のご参加をお待ちしております。

文:岡室悠介

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