西尾維新『花物語』の書評です。
本作『花物語』では語り部が神原駿河になり、青春小説っぽく仕上がっています。スポーツを通じた人間性の成長といったところでしょうか。
スポーツといっても、勝利至上主義ではなく、勝ち負けよりも大事なものを探し求めてスポーツに取り組んでいます。
この物語シリーズで何度となく強調されてきた相対主義的な価値観も色濃く出ています。「正しさなんて視点で揺れる」(p.38)、「私が嫌いな人間にも友達がいる。
私が嫌いな人間を好きな人もいる」(p.120)といったあたりです。こうした認識を神原駿河が深めていく話です。
沼地蠟花も同様の価値観を語ります。
「全方面に対する悪なんて存在しないんだ。
「どんな悪も、何かは救っている。
「どんな悪も、どんな悪魔も。
「逆に言えばどんな正義でも、何かを傷つけている――この世に絶対はないという言葉の意味はね、絶対正義も絶対悪も、この世にはないという意味でもあるんだよ。
(pp.185-186)
こうした相対主義は自分とは何者なのかということにも跳ね返るわけで、自分が考えている自分と他人から見た自分とが食い違うということが本編でもあとがきでも述べられます。「キャラを演じないと生きていけない世の中だ」(p.216)ということでもあります。
そうした中で自分らしさをいかに獲得するかということが本書の主題であるように思われます。