「バウハウスへの応答」展が、京都国立近代美術館で始まりました。
1919年にドイツ=ワイマールで設立された総合芸術学校・バウハウス。来年の100周年にあわせて開催される「バウハウス100ジャパンプロジェクト」の一環だということです。
「バウハウス」という名前自体は、日本でもよく知られています。しかし、それが何かと問われると、意外と難しいのではないでしょうか。「バウハウスとはなにか」。バウハウスとは「実はよくわからないものだ」というのが、著者の”とりあえずの”答えです。では、なぜバウハウスはわかりにくのでしょうか。
バウハウス=機能主義?
「バウハウス」と聞いて、まず思い浮かべるのは何でしょうか。極力装飾を廃した四角い建物、家具や文房具かもしれません。合理的・機能主義的なデザインは、ややもすれば無機質で冷たい印象もあります。
ナチス vs バウハウス
一方、同時代に、同じく近代の合理主義を徹底した運動がありました。”ナチズム”です
ナチズム(Nationalsozialismus, 国民社会主義)とは、優生学思想にもとづいて「優等人種」の保存を主張する、民族主義イデオロギーでした。
その特質すべき点は、今日からすれば、全く非合理な目的(人種主義)のために、”徹底的に合理的手段を駆使した”ことです(たとえば、ユダヤ人大虐殺のための鉄道の運用)。
1919年に国立学校として設立されたバウハウスは、33年、ナチスの政権獲得と同時に解体を余儀なくされます。いっけん、機能・合理主義という点で一致しそうなのに、なぜナチスはバウハウスを敵視し、ついには閉鎖へと追い込んだのでしょうか?
モダニズムの多様性
それは、バウハウスの掲げる理念に関わっていました。
バウハウス=機能主義は、平板な見方であると著者は言います。むしろ、注目すべきなのは、バウハウスの多様性にあります。
バウハウスにおいて国民と非国民の境界などなかった。そもそも入学のための条件はない。あらゆる人種、宗教、性別、年齢の生徒を受け入れた。学年平均120人から200人が在籍し、その半数が女性だった。教師もまたドイツに限らず、スイスやロシアや東欧諸国からも迎え入れた。
講師には、ロシア出身のカンディンスキーやヨハネス・イッテン(スイス)、パウル・クレー、ハンネス・マイヤー(2代目校長)など、各国から錚々たる芸術家を迎えて、まさにインターナショナルな空間を作り上げました。
生活とアートの融合
そうした多様な空間で試みられこと、それは、生活とアート、産業を融合することでした。
20世紀のはじまりはテクノロジーと産業資本の時代です。飛躍的に向上する技術と豊かな社会。しかし、その裏面として、労働者をたんなる生産手段にしてしまう合理主義は、人々を本来のあり方から疎外してしまいました。
“国家・民族の本来性”なる神話に訴えかけるナチスが圧倒的な支持を受けたのも、こうした背景がありました。寄る辺なき大衆は、確固たる権威にすがりついたのです(そして、その結末は、破壊と殺戮でした)。
その一方、バウハウスの目指す方向は別のものです。バウハウスは「芸術・生活・産業の統合」を掲げて、近代の断片化した各領域を、ふたたびまとめあげようとする「総合芸術運動」だったといいます。
実際に、学校から生まれたデザインやアイデアは製品として流通し、教育のための資金にもあてられました。かれらは、芸術、教育、産業という異なる領域を結びつけたのです。
政治と美学
バウハウスは政治に対しては「非政治」という立場を取り、多様な価値観、アイデンティティを認めました。だが、であるがゆえに、”一つの国家・一つの民族”を掲げるナチスに目をつけられ、押し潰されてしまいます。
アートと政治の関係は、いかに捉えるべきか。著者は、芸術を含むあらゆる社会活動は、かならず政治性を帯びざるをえないことを指摘します。バウハウスに欠けていたのは、政治的なものに対する自覚であったのだ、と。
ところで、このような見方は、J・ハーバーマスの議論を思い起こさせます。近代の理想を、いまだ達成されぬ「未完のプロジェクト」として擁護する彼は、近代の合理性が、どんな者にも加担する中性的なものではなく、”党派的”なものであると主張します。彼によれば、合理性や理性とは、ありうるべき倫理・道徳を備えているのです。
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