西尾維新『鬼物語』書評

浅野直樹

西尾維新『鬼物語』の書評です。


鬼物語

講談社(2011年10月17日)

『猫物語(白)』から始まるセカンドシーズンでは、女の子が語り部を務めると自分のアイデンティティを模索するという比較的伝統的な形になるのに対して、阿良々木暦が語り部を務めるとアイデンティティを解体する方向に進みがちだと思われます。

 

『鬼物語』のくらやみが課すルールからもそのことが窺えます。怪異が己を偽るとくらやみによる制裁対象になるのだけれども、変化をした場合はお咎め無しというルールです。吸血鬼から神様になるのはよくても、吸血鬼でありながら神様だと偽るのはダメだということです。

 

私たちの日常生活に引きつけてあえて深読みすれば、状況に応じて自分が本当に変化するのはよいけれども、古い自分のアイデンティティを捨てずに上辺だけ繕うのはよくないというメッセージが込められているのかもしれません。影縫余弦や忍野メメが生活にパターンを作らないようにしていること(pp.217-218)も、アイデンティティを固定化させないために試みだと言えそうです。

 

アニメや小説の創作面でも同じことが言えます。アニメ界の回転の速さが業界として健康的だと言われたり(p.14)、いつまでもだらだらと続く連作小説が皮肉られたり(p.24)しているからです。くらやみに関してはキャラクターが勝手に動くのはルール違反だ(p.243)とも説明されます。

 

私は本作から変化を恐れるなというメッセージを読み取りました。

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