西尾維新『終物語(上)』書評

浅野直樹

西尾維新『終物語(上)』の書評です。


終物語

講談社(2013年11月08日)

この巻は探偵小説(推理小説)の側面が強く打ち出されています。

 

となると、小森健太朗『探偵小説の論理学 : ラッセル論理学とクイーン、笠井潔、西尾維新の探偵小説』(南雲堂、2007)を参照すべきです。そこで展開されている主張を要約すると、西尾維新さんの作品には、真理は一つという還元公理よりも複数の真理を想定する様相論理が見て取れるということになります。探偵小説の枠組みで言うと、ある人が犯人である世界もあれば別の人が犯人である世界もある(犯人が客観的に一人に定まるわけではない)ということです。

 

小森健太朗『探偵小説の論理学 : ラッセル論理学とクイーン、笠井潔、西尾維新の探偵小説』の分析は『終物語(上)』にも当てはまります。本書に収録されている3つの話とも一応の謎解きがなされるわけですが、それが客観的に絶対の答えかというとそうは思えません。

 

しかし、だからといって、誰が犯人でもよいということにはなりません。特に第一話「おうぎフォーミュラ」では、阿良々木暦が1年生の時にクラスで決めた結論とは別の犯人を探ることになるのでそのことがはっきりします。深い考えなしに多数決で犯人を決めるというのはおよそ最悪のやり方であって、よりよい解決を目指すということです。

 

この考え方は、深層心理学的な心理療法にもマッチします。阿良々木暦と忍野扇との会話や、老倉育と羽川翼・阿良々木暦との会話は、過去を想起して再構成するという点でそうした心理療法に類似しています。

 

ここでも客観的な真理は一つだという立場(還元公理)と複数の真理があり得るとする立場(様相論理)が大きく影響します。前者の立場では過去の性的虐待が想起されればそれが客観的な真理であるため裁判をしようといった発想になりがちであるのに対し、後者では本人にとっての真理を取り扱うという発想になります。『終物語(上)』で示されるのは後者の方向であり、阿良々木暦や老倉育は過去の現実を再構成して再出発します。

 

ここで述べた観点からは、『終物語(上)』で数学が重要な役割を果たしていることも見逃せません。数学は客観的な真理が一つに定まる還元公理の代表例だからです。阿良々木暦が数学のそうした側面に魅力を感じているのに対し、忍野扇は冷ややかな態度だというのが、還元公理と様相論理を表しているように感じられました。

 

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