西尾維新『終物語(中)』の書評です。
本作は『化物語』や『傷物語』のように、怪異とコミュニケーションやバトルを重ねる話です。
相手が怪異であってもコミュニケーションによる解決が目指され、それが難しそうな場合にはバトルになるわけですが、そのバトルでも単に力が強いほうが勝つのではなく一定のルールが課されます。このあたりは『化物語』から一貫しています。
阿良々木暦が初代怪異殺しである鎧武者の死屍累生死郎と初めて対面したときは言葉が通じなかったというところから、別れ際には言葉が通じるようになり、その後少年の姿で対面したときは話し合いでの解決が試みられました。死屍累生死郎は阿良々木暦をペットボトル入りの飲料で殺そうとしていましたが、すんでのところでエピソードたちに助けられます。コミュニケーションを否定するようなやり方は許されないということでしょう。
神原駿河は忍野忍に対してコミュニケーションの重要さを説きます。
「それも全部含めて、会うべきだと言っている――だから理屈とかいいんだよ! なんでみんな、そうやって人と会うことを拒むんだ――話にならない! 誰かと誰かが出会わなきゃ、話にならないだろうが!」
物語にならないだろうが!
(p.246)
結局阿良々木暦と死屍累生死郎は決闘をすることになります。「一太刀浴びせたら勝ち」というルールを「ひとタッチ浴びせたら勝ち」だと曲解することでその決闘に阿良々木暦が勝利します。一休さんの「このはし渡るべからず」と同じような解決方法です。
西尾維新さんはこうした言葉遊びを多用することでも有名ですが、それもコミュニケーションを継続させるという姿勢のあらわれかもしれません。