【エッセイ】どこで学ぶか

2014/12/29


http://photo53.com/

大窪です。

先日、佐伯啓思さんの『西田幾多郎』(新潮新書)が手元に届いたので読み始めました。
西田幾多郎は、『善の研究』の著者で、いわゆる京都学派を形づくったことで知られる哲学者です。

本のまえがきは「哲学の道」についての話からはじまります。京都大学から東に向けて少し行ったところにあるその場所は、西田が思索にふけったことから名づけられたといいます。

実際に行ってみるとわかりますが、なんということのない小川沿いの小道です。しかし、最近では京都の観光名所にもなっていて、とても、静かに考えを巡らせながら歩いている暇などなさそうです。佐伯さんいわく、いっそのこと、哲学者以外、進入禁止にでもしたらどうか(!)、と。

ともあれ、西田にとっては、どこで哲学的な思考をするのか、は重要なことだったようです。もちろん、個人的な事情だけではなくて、彼の非常に晦渋で独特な、そして、ある種の”東洋的”な哲学が、伝統、文化に育まれた、京都で生み出されたということも、やはり偶然ではなかったのでしょう。ちなみに、「場所」は、西田哲学のキーワードのひとつです。

京アカ塾の開催場所は、受講生の方の要望にあわせてさまざまです。

私の場合、これまでのところ、喫茶店やレストランでおこなうことが多いですが、お店によって、雰囲気やかかっている音楽、他のお客さんの声、照明の明るさ、テーブルの質感、そして、コーヒーの香りなど、さまざまです。あるいは、同じ店でも、その日、その時間によっても違ってきます。

とくに意識しているわけではないと思いますが、そうした状況によって、こちらの話し方や考えるモード、ペースも影響されていると思うときがあります。店内が静かだと話す調子もゆっくりと、賑やかだと少しスピードを上げて。また、その場の雰囲気に応じて、話す内容や受け取り方も変わってきます。場所を変えると、それがまたガラッと変わることもあります。

学びの場所というと、わたしたちはすぐに学校や教室をイメージしますが、本当は、それが唯一というわけではありません。たとえば、街場のカフェなどが、学びの場所になることもあります。とりわけ、答えの決まっていないような問いを考える場合なら、なおさらです。そして、その「場所」とは、じつは固定してあるものではなくて、人同士の関係や、周りのいろいろなものとの関係から成り立っているものです。

ありがたいことに、京都には素敵な喫茶店が数多くあります。最近ではお店を紹介した本がいくつも出され人気があるようです。その中で、自分だけの学びの場所を、あるいは、友人や仲間と共有する場所をみつけてみるのもいいですね。

大窪善人

京アカ 批評鍋 #12坂爪真吾 『男子の貞操』録画を公開中!


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第12回批評鍋を放送しました。
テーマ本は、坂爪真吾氏の『男子の貞操―僕らの性は、僕らが語る』です。

これまで意外と語られてこなかった「男性の性」の問題について書かれた本です。
ゲストにサークルクラッシュ同好会のホリィ・セン氏を迎えて徹底的に語りました。

【出演者】
浅野直樹
岡室悠介
ホリィ・セン
大窪善人

【内容】
・男性の視点から性を語る
・男性の性の目的は「処理」?「ケア」?
・”エゴ”な性欲と”エコ”な性欲
・「性の公共」って何?
・性とタブー
・なぜ風俗と恋愛の両極しかないのか
・男女の性の非対称性
・性は自然か文化か?
・記号からリアルへ論
・タブー破り型と積み重ね型
・恋愛するにはコミュニティへの参加が重要?
・夜這い文化に学ぶ
・結婚後の理想の性生活とは
・片思いは記号的恋愛?
・性を禁止しているのは誰なのか?
・神の見えざる手からお上の見えざる手へ
・キラキラの恋愛とストイックな結婚
・結婚と恋愛は別のゲーム
・性愛抜きの結婚の持続可能性問題
・性体験と宗教体験の類縁性
・「男子の貞操」を守るには?

セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱 (小学館101新書)

セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱 (小学館101新書)

批評鍋リスト

アカデメイア・カフェ開催しました!

アカデメイア・カフェを 四条・生きている珈琲にて開催しました。
はじめての方、そしてリピーターの方にも多数ご参加いただき、非常に盛り上がりました。

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会場はほぼ満席

今回は、社会学者の柴田悠さんを交えて、「〈少子化問題〉は問題なのか?―これからの社会保障を考える」をテーマにみなさんと考えました。

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柴田さんによる解説

はじめに柴田さんから日本の社会保障の現状や、問題解決の方法などについて解説していただき、それを踏まえてみなさんと議論しました。議論では、「移民受け入れは少子化対策に有効なのか」、「行政は家族の問題にどこまで介入してよいのか」、「そもそも『少子化問題』は問題なのか」など、刺激的な疑問が出され、話し合う中でより議論を深めていきました。とくに後半の方では「婚活」支援、子育てについての話題で盛り上がりました。

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活発な議論が展開しています

次回のアカデメイア・カフェは未定ですが、決定次第お知らせします。
お楽しみに。

アカデメイアカフェ「〈少子化問題〉は問題なのか?―これからの社会保障を考える―」

次回イベント、アカデメイアカフェのお知らせです。
アカデメイア・カフェは、毎回決められたテーマについて、参加者が自由 に議論しあうイベントです。
毎回幅広い年代、職業の方に参加いただいています。予備知識なし、はじめての方大歓迎です。

今回のテーマは「〈少子化問題〉は問題なのか?―これからの社会保障を考える―」です。
今回はゲストに社会保障に詳しい柴田悠さん(社会学者)をお呼びし、少子化や社会保障についての基礎知識を学びながら、よりよい社会をつくるためにはどうすればよいのか、みなさんと一緒に考えます。どなたでもお気軽にご参加ください!

<第9回アカデメイアカフェ>
テーマ : 「〈少子化問題〉は問題なのか?―これからの社会保障を考える―」
日時 : 9月19日(金)20時~21時半
場所 : 生きている珈琲(京都市下京区立売東町 みのや四条ビルB1F)
ゲスト : 柴田悠さん(社会学者・立命館大学准教授)
※参加費無料。ドリンク1杯の注文でご参加いただけます。途中入退出自由。当日会場までお越しください。

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※柴田 悠(しばた・はるか)さんプロフィール

立命館大学産業社会学部准教授
専門は社会学、社会保障論。
京都府の「京都少子化対策総合戦略会議」で委員も務める。

参考1:柴田悠さんが書かれたシノドスに書かれた記事
「子育て支援」を「相続税」で拡充せよ――新成長戦略の限界とその克服

参考2:京都新聞9月6日朝刊「オピニオン・解説」での柴田悠さんへのインタビュー
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みなさまのご参加お待ちしております!

百木漠

これからに向けて

2014/08/10

京都アカデメイア塾の大窪です。
まだまだ暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。

この春からスタートした京アカ塾ですが、おかげさまで、早速受講のご依頼をいただいた他、複数の問い合わせも受け承っています。
京アカとしては新たな試みではありますが、学びに対する潜在的な需要の可能性と手応えとを感じています。

先日、4月から受講いただいている方の「社会学基礎」(毎1時間/3ヶ月コース)の授業が完了しました。
授業の進め方を相談しながら、前半は社会学の歴史や基礎概念の紹介、後半はメディア論の紹介を行いました。受講者一人ひとりのご要望に答えて授業を進めることができるのも京アカ塾の特色のひとつです。

私が授業を実施する中で改めて感じたのは、「教養や学びには決まった答えがない」ということです。決まった答えがないということは、言い換えれば、「誰もまだ本当の答えを手にしていない」ということです。たとえば、社会学で言えば「『社会』とは何か?」という問いはもっとも根本的な、しかし未だ解決されていない問題です。誰も答えを知らいないということは、誰もが発言する権利を持つ、ということです。

京アカ塾での授業も、”教師”が”生徒”に一方的に教えるのではなく、お互いに自由に学び、教え合う関係が理想であると、私は考えています。こうした営みの積み重ねが、ひいては、知識を通じて社会をよりよくしていくことに繋がるのではないでしょうか。

京都アカデメイア塾では、基礎から講読、ゼミまで多様な科目を用意しております。少しでも興味を持っていただいた方は、ぜひお気軽にお問い合わせください。
お待ちしています。

大窪善人

京アカ夏休みスペシャル・イベント開催!

年に一度のスペシャル・イベント「京アカ夏まつり」開催のお知らせです。

毎年恒例の夏イベント「京アカ夏まつり」を今月16日(土)に開催いたします。
今回は、今年春からスタートした「京都アカデメイア塾」※ に関連したイベントです。

京都アカデメイア・夏休み特別ustream企画 
―京アカ夏まつり2014―京の真夏の教養三昧

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8月16日(土)開催
午後5時スタート

放送URL http://www.ustream.tv/channel/kyoaca

<タイム・テーブル>

■第1部 10分 de 教養

時間:午後5時~7時

京アカ塾の講師陣が特別プレ・講義を実施!
10分間で1科目をレクチャー。
全部コンプリートすれば、一日であなたも教養人になれるかも?! 

■夕食会

午後7時過ぎ~8時

■五山観覧

時間:午後8時~8時半

■第2部 ディスカッション―「京アカ塾」をつくった理由(わけ)

時間:午後9時~10時半

※京都アカデメイア塾とは?
京都アカデメイア塾は、京都アカデメイアが運営する「大人のための教養塾」です。
大学や学校を卒業したけれども、勉強を続けたい、改めて教養を学び直したい、という人をオーダーメイド授業でサポート。入門、基礎から文献講読、ゼミまで多彩な科目をラインアップしています。
また、喫茶店、レンタルスペース、ご自宅で気軽にできる「ノマド・スタイル」の学びを提供します。

詳しくは京都アカデメイア塾のホームページをご覧ください。

京都アカデメイア塾 公式HP http://kyoto-academeia.sakura.ne.jp/wp/

放送は、8月16日(土)、午後5時スタートです。
放送中、ustream上でのコメントも受けつけます。
ぜひご覧ください。

大窪善人

第三回「寝ながら学べるアーレント」@GACCOHのお知らせ

今回も京都アカデメイア主催のイベントではないのですが、告知をさせていただきます。
先月・先々月と、GACCOHさんの教養講座第1弾として開催させていただいた「寝ながら学べるアーレント」講座の第3回を、今度の日曜日に開催します。前回・前々回とももたくさんの方にご参加を頂いたのですが、今回が最終回となります。最終回からの参加でも歓迎ですので、お申し込みお待ちしております。今回は、昨今の論壇などでアーレントがどのように扱われているのかを紹介しながら(ネット、演劇、アイドル、映画など)、アーレントの思想が現代社会においてどのように役立つのか?ということを参加者の方とともに考えていくつもりです。

ちなみに第1回の様子をまとめていただいたtogetterがこちら
予想以上にたくさんの方にご参加いただき、また参加者の方から熱心な質問やご意見をたくさんいただけて、講師側の自分も大変に刺激を受けました。いま改めてアーレントにたいする関心が高まっているのだなぁと実感すると同時に、アーレントだけでなく、教養についてカジュアルなかたちで学び直したいという方が、年齢層を問わずに増えているのだなと思ったりもしました。

今回がGACCOHさんの教養講座第一弾だったのですが、GACCOHさんと京都アカデメイアのコラボが理想的にうまくいったケースではないかと思います。今後もこのようなかたちで街場での学びの可能性を広げていけると良いです。
現在GACCOHさんと話し合いながら、教養講座の第二弾も企画中ですので、お楽しみに。

GACCOH教養講座「寝ながら学べる」シリーズvol.001
「寝ながら学べるアーレント」第3回 「アーレントと現代」
日時:7月27日(日)19時~21時
場所:GACCOH (京阪出町柳駅から徒歩5分)
講師:百木漠(京都大学大学院)
参加費:1000円
予約申し込みはこちらから。

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【まとめ】第10回 批評鍋 『世界が土曜の夜の夢なら』,『ヤンキー化する日本』

批評鍋 第10回の今回は「ヤンキー論」をテーマに、斎藤環、『世界が土曜の夜の夢なら』『ヤンキー化する日本』について話し合いました。

参加者:
浅野直樹
岡室
大窪善人
浮網
百木漠

議論の内容はyoutubeに上げているので、ここでは議論を経て私(大窪)個人の考えたことを書き留めておこうと思います。


批評鍋録音(高音質版)

▼なぜ今ヤンキー(論)なのか

最近、「ヤンキー」が批評業界のキャッチ・ワードの一つになっている。今回取り上げた斎藤環、『世界が土曜の夜の夢なら』『ヤンキー化する日本』(いずれも角川書店)の他、原田曜平、『ヤンキー経済』(幻冬舎)、難波功士、『ヤンキー進化論』(光文社)など、ヤンキーについて論じた書籍が相次いで刊行されている。もちろん、それぞれの書物のアプローチや観点は異なるが、いずれもヤンキーを主題としている点では共通している。

ところで、ここで、関心を惹かれるのは、論壇のいくぶん総体的状況としてヤンキーに関心が集まっているという現象がどうして現れてきているのか、ということの方にある。というのは、ヤンキーは別に昨日今日現れてきた新しい現象ではないからである。日本のヤンキー≒不良文化は、遅くとも1980年代には確認されている。だから、そのような特段新しくもない「ヤンキー」という現象が、新しい装いでもって”再注目”されるのはどうしてなのか、ということが問われなければならないだろう。

▼ヤンキー=反知性主義?

そもそも「ヤンキー」とは何を指して呼ばれるのだろうか。斎藤環氏は著書の中でヤンキーの定義を行っている。それによれば、ヤンキーを特徴づける要素として、バットセンス(悪趣味)、コミュニケーション強者、気合主義、道徳性、反知性主義、ホンネ主義、ポエム・感情主義、今ここ主義、保守主義などが矢継ぎ早に列挙されている。

サブカルチャーの文脈では、矢沢永吉やX JAPAN、EXILEなどが代表的なアイコンとして挙げられる。他方、そうした傾向は、特定の階層・サブカルチャーに限定されるのではなく、ある意味で日本文化ないし日本人の意識構造の基層を規定している、というのが斎藤氏の観点である。

たとえば、戦中において今や悪名高い「インパール作戦」を指揮した陸軍中将の牟田口廉也は、兵站を度外視して、食料がなくても、弾薬がなくても、銃剣がなくても、最後には”大和魂”があると言って下士官を鼓舞し、その結果7万人もの飢餓・病死者を出した無能な軍人として歴史に記された(だがそれが当時通用したという事実の方が重要である)。また、戦後自民党政治を代表する政治家 田中角栄は利益誘導や金権政治のような「ムラ社会的」文化を体現してみせた。一見無関連に見えるこれらの人物だが、斎藤氏によると、彼らに共通するのは、論理や知性とは相容れないような、ヤンキー的要素を持っていることだという。加えてここに、問答無用に郵政改革賛成か反対かの決断を迫った小泉純一郎、あるいは大阪市市長 橋下徹なども加えられるという。

ひとまず、こうした斎藤氏の見立てを前提に置くとすれば、ヤンキー(性)にとって重要な要素の一つは「反知性主義」ということになるだろう。ここでいう反知性主義とは、平たく言えば、一般に知性や知識を信頼しない心性ないし傾向性のことである。ところで、何かを否定するということは同時に別の何かを肯定することでもある。それではヤンキーないしヤンキー性に親和的なかれらは知性を否定する代わりに一体何に対して信頼を置くのだろうか。それは、意志、すなわち「気合い」である。

▼「オタク」から「ヤンキー」へ―普遍的なものへの別のかたちでの挫折

1980年代から2000年代にかけて、日本の若者文化において最も注目を浴びた存在は、おそらく「オタク」だろう。オタクに対する一般に膾炙したイメージを再確認しておくと、マンガやアニメ、ゲームといったサブカルチャーに耽溺する若者たちのことである。オタクほどヤンキーから遠い(と思われている)存在も他にないだろう。しかしながら、逆に、ある種の共通性も見いだせるようにも思われる。では、その共通性とは一体何なのか。

たとえば、オタク趣味のひとつに鉄道というジャンルがある。一般には彼らは「鉄道オタク」と呼ばれるが、その志向は、車両を対象にしたものから、写真、切符、時刻表収集、汽笛や車内アナウンス、鉄道設備の研究・収集など多様である。

また、別の例としては、90年代にオタクを中心に一大ブームとなり、現在も続編が制作中であるアニメーション『新世紀 エヴァンゲリオン』を挙げることができる。もちろん、メインキャラクターやヒロインたちの人気にも牽引されているということは言うまでもないが、ここで注目すべきは、作中で描かれる「電線」や「高圧鉄塔」などに対するフェティッシュなまでの描写である。あるいは、物語の舞台となる「第3新東京市」が敵の襲来を迎え撃つ際に、武装したビル群が地面からせり上がる様子の細密な描写である。

こうした例から引き出すことができる含意は、オタク文化には「現在」、「今この場所」を相対化するような強烈なモメントを見出すことができるということだ。交通手段としての鉄道は「現在」を空間的に相対化し、経済成長を連想させる鉄塔やビル群の屹立は「現在」を時間的に相対化する。そして、それらは、煎じ詰めて言えば、ある意味で普遍的なものを先取りするようなかたちで行われる。

しかし、他方で、オタクに対する典型的なイメージの重要な要素として、オタクが極めて限定された趣味空間の範囲でしか関心を持たない、というものがある。その直感をそのままベタに受け取るならば、つまり、オタクの趣味空間における情報の蓄積や利用といったものは、その上位の水準における意味的な保障を全く必要としないということになるだろう。言い換えると、オタクたちの趣味は、ある種の普遍的なものへの回路が開かれている、あるいは、それを志向する要素と結びついているにもかかわらず、しかし、それは達成されることなく、結局のところ個別の趣味の領域において閉じていってしまうのである。

▼「土曜の夜の夢」から「月曜の朝の憂鬱と希望」へ

では、他方でヤンキーの方はどうだろうか。ヤンキーにも「今ここ」を相対化する要素はある。というよりも、むしろそのような傾向こそが一方でヤンキーのヤンキー性を規定していると言っても過言ではない。それを理解するには、なぜヤンキーが「バッドセンス」(古い言い方では「つっぱり」)に拘るのかを考えればよい。その理由は「今ここ」つまり現状に対する不満であろう。マンガやアニメなどにおいてたびたびヤンキー的なキャラクターが主人公に選ばれる理由もそこに求めることができる。なぜなら、「今ここ」を相対化する視座こそが物語の進行を動機づけうるからである。あるいはそこにヤンキーと「伝統」文化との強い結びつきを付け加えてもいいかもしれない。

しかし、そうした性格を持つと同時にヤンキーは保守的な傾向を持つとも定義される。それは具体的には、現に存在する家族や仲間、土地、あるいは絆に対する固執に端的に現れている。つまり、ヤンキーもまた、「今ここ」を相対化する志向を持ちながらも、ある意味でそれに挫折するのである。

さて、ここでようやく、最初に立てた問い—なぜ今ヤンキー(論)なのか—に対する暫定的な答を得ることができる。ひとまずは、オタク論とヤンキー論の時系列的な関係注目したい。つまり、オタクが注目された後にヤンキーに対する注目度が高まってきたという順番がポイントである(ところで、斎藤環氏もかつてオタクについて盛んに論じていた)。人々がヤンキー論に注目するのは、それがもしかすると「今ここ」を相対化してくれるかもしれない、と期待した、少なくとも、そうした欲求が背景にあったからではないだろうか。だが、もちろん、そうした見通しは現時点においては過大な要求に思えるのだが。

大窪善人

 

授業紹介ビデオを公開しました

2014/06/11

京都アカデメイア塾の授業紹介ビデオを公開しました。
(各科目をクリックするとyoutubeにリンクします。)

心理学入門/浅野直樹
数学入門/----
法律入門/----
英語入門/----
英語講読(文献持ち込み)/----
論文の読み書き/----
経済学基礎/百木漠
アーレント『人間の条件』講読/----
マルクス『資本論』講読/----
社会学基礎/大窪善人
公共哲学入門/----
 

この他の授業紹介ビデオも順次投稿していく予定です。
ぜひご覧ください。