NFビラつくりなう
やあ、京アカファンのみんな、元気?
こっちの新ブログでは初めましてだねっ☆むらたです。
先日告知があったけれども、京大11月祭で真山仁さんをおよびするということで、例によってビラをつくってゐます。
もーじきテーマ等の詳細も告知されるはずなんで、興味ある方はたのしみに待っててくださいねっ。
京大の学園祭やけど京大の学生以外の方もご遠慮なくいらしてください。
てか私ももう学生ちゃうし。
もう一度、告知も貼っておくですよ。↓
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講師:小説家真山仁
日時:11月26日(土)14:00-
場所:京都大学吉田南キャンパス 共南21教室
予約不要、参加費無料、サイン会あり
真山氏の著書をお持ちいただければ、講演会終了後、サイン会にもご参加いただけます。
どうぞお気軽にお越しください。
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本日の京都は夏のような陽気でした。こんな日が続くとええのになア。
ではでは!
11月祭に向けて
今年も京都アカデメイアは11月祭で講演会を企画しています!
去年の学園祭の様子はこちら→http://kyoto-academeia.sakura.ne.jp/nfmatome.html
今日もその会議でした。ご参加くださった皆様、お疲れ様でした。
詳細は後日改めてHPでおしらせしたいと思いますが、日時等のみ記しておきます。
講師:小説家真山仁
日時:11月26日(土)14:00-
場所:京都大学吉田南キャンパス 共南21教室
予約不要、参加費無料、サイン会あり
真山氏の著書をお持ちいただければ、講演会終了後、サイン会にもご参加いただけます。
どうぞお気軽にお越しください。
講演テーマについては、また改めて。乞うご期待!!
人環フォーラム・学生講演企画(3)
(承前)3人目の講演者は、造形大D2の内田光枝さん。京大の外から見た人環のイメージについて語ってもらいました。他大学の方に無茶なお願いかとも思っていましたが、見事に期待に応えていただき、大学院(人環)に関してポジティブなイメージを語っていただくことができました。
自分はどちらかといえば、研究者を目指すとか就職するとかいう明確な目的なしにふらふらと大学院に進んでしまったタイプ。いちど就職して待遇も悪くなかったのだが、このままでは死に切れないと思い、やはり大学院に戻ってきた。そのときに浅田彰さんから「社会の役に立つ研究をしてね」という言葉をもらい*1、少なくとも研究について大きな指針をもつことができた。
具体的には神社についてのフィールドワーク調査をするなかで、地方の限界集落などで美しい神社がどんどん消えてなくなっていっているという現状に危機を覚え、自分でも何かしたいなと真剣に考えるようになった。そのために何ができるのかはいろいろと考え中。
昨年、人環フォーラムに来て、熱心に質問をしている学部生にびっくりして影響を受けた。今回の場のように、学生が集まってディスカッションをする場というのは非常に貴重だと思う。一流の学者の間でも、専門分野を超えて合意を見出すというのはとても難しいこと。ましてや学生の立場でそれが難しいのは当たり前だが、このように議論する場をもっていること自体がひとつの希望だと思う。
また、他大学から見て京大のネームバリューや資金面での待遇はとても羨ましいもの。その有利な面をよく意識しておいてほしい。人環フォーラムや京都アカデメイアの活動に関しては、趣旨説明や会場の場所などもっと分かりやすくする工夫がほしい。人環院生の研究内容など聞ける場があるとよいかも。
ひとくちに造形大の院生といっても、芸術作品を創っている人もいれば、内田さんのように神社に関するフィールドワーク調査などやっておられる方もいらっしゃるのだなぁと実感。学長大学院長の浅田彰さんから「社会の役に立つ研究をしてね」という言葉をもらい、研究について大きな指針をもつことができた、という内田さんの言葉について、中森くんの質疑応答の際に話題にもなっていた「社会の役に立つ研究」というものが具体的にどういうものを指すのか、少し考えこんでしまいました。
会場からの質問
質問1)大学院で他分野の人(研究室)と交流する機会はどれくらいありますか?
→昨年の人環フォーラムでは研究室のパネル紹介にひとりで飛び込み、その場でいろいろと紹介をしてもらった(そのときに学生講演会のことも知った)。造形大では他分野の人との交流はなかなかないのが現状。
質問2)造形大で製作系の学生と論文系の学生が交流する機会はありますか?
→正直なかなかありません。自分なりにそういう機会や場を作ろうと試みているが、なかなか難しい。
この後は、講演者3名と会場全体を含めた質疑応答とディスカッションの場となり、積極的な意見や提案を参加者の方々から出していただきました。少人数ながら、ディスカッションの内容としてはなかなか濃密なものになったのではないか感じました。提案して頂いたアイデアやアドバイスなどは、今後の京都アカデメイアの活動に生かしていきたいと思います。素敵な講演をしてくださった中森くん、嶋田くん、内田さん、素晴らしい司会ぶりだった浅野さん、参加してくださった来場者の皆さん、どうもありがとうございました。
*1:この点について大学院長の浅田彰先生ご本人からコメントを頂きました。誤解をまねくような表現をしてしまい、大変申し訳ありませんでした。詳しくはコメント欄をご覧ください。(百木)
人環フォーラム・学生講演企画(1)
京都アカデメイア・スタッフの百木です。昨日の人環フォーラム・学生講演企画の様子をお伝えします。昨日は大学院生3名に、自分の大学院体験をふまえつつ、大学院生活がどのようなものなのか、人環とはどういうところなのか、についてお話をしてもらいました。残念ながら、我々の力不足ゆえにあまり人が集まらず、お客さんは10名程度でした。
正直なところ、最近京都アカデメイアのイベントは集客力が落ちているので、この点は今後の我々の課題です。お忙しいなか、せっかく面白いお話をしてくださった3名の院生の方々には申し訳なかったです。ただ前向きにとらえるとすれば、少人数のイベントゆえに参加者全員に発言をしてもらうことができ、質疑応答の時間は非常に充実していたかと思います。メモを見ながら書いているうちに長くなってしまったので、講演者それぞれに分けてブログ記事をアップします。
最初の講演者は、人環D2の中森弘樹くん。社会学を専攻しており、研究者志望。文系研究者を目指す大学院生のデメリットについて話してくれました(大学院生になるメリットについて聞く機会はあっても、デメリットについて聞く機会はなかなかないから、とのこと)。
1)大学院生(とくに文系、とくに京大、とくに人環)は研究に関して自由すぎるがゆえに、かえって何をしていいか分からなくなってしまうケースがある。
2)将来の見通しが立たない。現在、文系の研究職は就職がかなり厳しい状況にあり、何歳時点で就職できるかという見通しが立てづらく、人生設計が困難。
3)研究者として実績を積むためには、自分がやりたい研究ばかりをやればよいのではなく、学会のお作法にのっとった研究をせねばならない。そのことが苦痛になるかも。
4)大学院生の社会的位置づけがあいまい。実家に帰ったときに親戚などに自分の状況を説明するのに苦労することが多い。「いつまでもフラフラして…」と言われたときに、なんと言葉を返せばよいか。
以上のようなデメリットについて、なんだそんなの全然大したことないじゃん、と思える人はきっと勉強・研究が好きな人なのでしょう、と中森くん。中森くん自身はあまり「勉強が好き!」というタイプではないので、上記のようなデメリットでストレスを抱えたり、悩んだりすることも多い。そのような状況を踏まえたうえで、本当に研究職を目指す(博士課程に進む)かどうかを考えたほうが良いのでは、というアドバイスでした。また、研究職を目指す際には周囲の人々(家族、恋人など)への配慮も必要でしょうとのこと。そのうえで、もし進路に悩んだりする人がいれば、ぜひ先輩である院生に相談をしにきてくださいね、という締めくくりでした。
「今日はどちらかといえば悲観的な話をします」と宣言していた中森くんですが、同じく文系で研究職を目指す自分(百木)としても共感できる部分は多かったです。そのうえで、僕自身は中森くんに比べれば勉強や研究が好きなほうなのかなと思いました(というか、勉強が好きでなければこんなにリスキーで不安定な道は選べないというのが僕自身の考え)。
会場からの質問。
質問1)大学院に進む際にキャパシティが必要、という発言があったが、実際に大学院では学際的な勉強・研究をする余裕(キャパシティ)はあるのか?
→必要な単位などで強制的に他分野の先生のゼミや授業に出ないといけない仕組みになっているので、最低限はそういうことを勉強する機会はあります。あとは個人それぞれの努力次第!
質問2)社会から大学(院)を振り返ったときに、現在の大学がニヒリズムに陥っているように見える。国立大学なら(国民の税金が使われているのだから)、自分の研究にもっと誇りと自覚をもっていて欲しい!
→「社会の役に立つ」ことばかりを考えていると、逆に「社会の役に立つ」研究が困難になってしまうという逆説がある。もちろん「社会の役に立たなくてよい」というつもりはないので、その点で常にせめぎ合っている状態です。
(つづく)
人環フォーラム・学生講演企画(2)
(承前)2人目の講演者は、人環M2の嶋田研志郎くん。自然科学系で、修士卒業後は民間企業への就職が決まっているとのことでした。理系の立場から見た人環の現状や課題について語ってくれました。
人環の理系出身で、自分の専門知識や専門技術をそのまま生かして技術職に就職、という人は実はかなり少ない(専門分野外での就職が多い)。その理由は、人環は企業との取引や教授による推薦枠などが少なく、個々の院生が自力で就職活動をするしかないから。
人環は学際的な研究をするという名目を掲げてはいるものの、現状は各分野での専門家を育てることに注力している(しかし専門家として就職するのは現実的には困難)。もし学際的な研究をやりたいのであれば、本当は人環がそれなりの枠組みを用意する必要があるのではないか。しかし、それも実際にはなかなか難しい状況にあるようだ。
また人環の先生や院生も一枚岩ではなく、皆が学際研究をしたい(必要)と思っているわけではない。自分の専門分野以外に興味がない人も多い。せめて人環マインドの高い学生が集まって、学際的な勉強や研究をする仕組みや機会を作ることが必要ではないかと考えている。
学際的(分野横断的)な研究の必要性とその実現困難性については、4月の異分野学生交流会などでも話題になりました。人環生に限らず、学外の方や社会人の方もこのテーマについて感じていることは共通しているのだなと再認識させられます。せめて京都アカデメイアがそのような機会をささやかに提供していければと考えていますが、そのためにはもっと動員力(集客力)が必要ですね!
会場からの質問
質問1)紹介文に地元での活動…とあるが?
→地元で青年団体(?)を立ち上げるなどの活動をしている。大学の研究室だけでなく、自分が所属するコミュニティを複数もっておくことは大事と思う。
質問2)他学部から人環に来た人間としては、学際研究がまだまだできていないと言っても、人環はだいぶマシと感じるが?
→他学部を学際研究という人環のモノサシで測っても仕方がない。他学部は専門的なモノサシで自分たちのパフォーマンスを測っているわけで、もしそれに人環が対抗したいなら自分たちのモノサシというものを用意しなければならない。
質問3)自分も将来自然科学系で院に進み、修士卒業後に企業への就職を考えているが、やはり自分の専門分野での就職は難しいのか?
→工学部などに比べると難しいと言わざるを得ない。もし専門分野で就職をしたいなら、とりあえず大学制度や先生には頼らず、自力で道を切り開くという覚悟が必要(それはかなり大変な道)。就活では専門知識で勝負するというよりも、基本的な専門技術や自分の考えを伝える能力などで勝負したほうがよいかも。
【お知らせ】京アカスタッフブログ、ひっこします。
【お知らせ】
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京都アカデメイアスタッフブログは、「はてな」に移転しました。
新しいブログのURLは以下です。
http://d.hatena.ne.jp/kyotoacademeia/
最近更新頻度も滞っておりましたが、新ブログでは心機一転たくさん更新できるとよいなと思っております。
twitter 等でもよろしくお願いします。
http://twitter.com/kyotoacademeia
アカデメイアファーム(畑)日記
人環フォーラムの準備
浅野です。
一昨日の10月21日(金)に人環フォーラムの準備のお手伝いをしました。京都アカデメイアでは昨年に引き続き学生企画を担当します。
研究室紹介などのポスターを貼るパネルを運び込むのが主な作業でした。完成形はこのような感じです。
学生企画のポスターも貼ってもらっています。
この準備は専門分野を問わず協力してなされました。学問もそうであるとよいです。
岡田斗司夫講演「私たちは生涯、働かないかもしれない」@同志社大学のまとめと感想
浅野です。
10月16日(日)に同志社大学で開催された岡田斗司夫講演「私たちは生涯、働かないかもしれない」に行ってきました。いい会だったのでここにまとめておきます。私の疑問や感想は赤字で書きます。Ustreamの動画も残っているので、お時間がある方はそちらもご参照ください。
岡田斗司夫講演「私たちは生涯、働かないかもしれない」@同志社大学 – 岡田斗司夫公式ブログ
話(わ)BOTぶろぐ – 岡田斗司夫講演 「私たちは生涯、働かないかもしれない」@同志社大学 (12分割)
全体が三部構成になっています。第一部は仕事の話(約1時間)、第二部はお金の話(約30分)、第三部は勇者の話(約30分)です。
第一部の仕事の話を一言で表現するなら「就職はオワコン(終わったコンテンツ)である」です。その理由は、大学を卒業しても就職できない人が4割いて、運よく就職できたとしても日本の会社の平均寿命は7年しかないということです。これはかつてない状況で、今の若者の親世代は頑張れば就職できると思っている人が多いけれども、4割の人が就職できないというのはシステムの問題だと言えます。就職をめぐる状況がこのように変化したのはインターネットなどのおかげで私たちの生活が便利になったことにあります。例えばAmazonは私たちの生活を少し便利にして多数の書店を潰しました。
それなら就職できる勝ち組を目指せというのは狭い発想です。仮に正社員として就職できたとしても長時間労働や過重な仕事が待っています。そうした二者択一から抜け出すために恋愛という補助線が引かれます。
今回の話としてこういう展開なのは理解できます。しかし地域型ユニオンなどに入って労働条件を身の回りから少しずつよくするという選択肢も考慮に入れておきたいです。正社員は簡単に解雇できませんし、労働時間や有給休暇を活用することができます。
ネットワークの発展が変化をもたらしたという点では恋愛をめぐる状況も同じです。岡田斗司夫さんが引き合いに出したデータによると携帯電話の普及率と既婚女性の浮気率とは正比例しているそうです。生涯未婚率が4割を超えつつあるというのも就職の状況と似ています。
就職がオワコンであるならどうすればよいのでしょうか。そう、今流行りの3万円ビジネスです。3万円の仕事を10個、1万円の仕事を10個、無償の仕事を20個、マイナスの仕事を10個の計50個くらいの仕事をするというのが岡田斗司夫さんの処方箋です。
実は私自身かなりこれに近い生活をしています。英語、数学、小論文、心理学などをあちこちで教えることでいくらかの収入を得て、無償で労働相談を受けたりWebプログラミングの勉強をしており、京都アカデメイアの活動では交通費など持ち出しです。しかし50個というのは体力的にも時間的にも無理です。
第二部はお金の話です。こちらも結論は「お金はオワコンである」になるのですが、お金とはそもそもどのようなものかという説明がきわめてオーソドックスな形でなされました。お金は特定の目的を達成するためには回り道だけれどもわずらわしさから逃れることができるという説明です。例えばiPodが欲しければ新品を定価で買うほかに、中古で買う、友人から貸してもらう、友人から譲ってもらうなどの方法があります。友人から借りたりもらったりしたほうが安くつくし、使い方を教えてもらえるし、そのiPodをめぐる物語にも参与できるという利点があります。
就職をしなければならないという主な理由には食うためには金を稼がなければならないというものがあります。しかしこのように他の方法を探ればそれほどお金は必要ありません。「食うため」と言っても文字通り食うために使うお金や生活必需品に使うはそれほど多くはないというのが岡田斗司夫さんの主張です。
確かに文字通り食うために使うお金はそれほど多くないかもしれません。しかし私の場合だと自炊をする時間があまりないので月3万円はかかりますし、家賃や携帯電話代(仕事や日常生活を営む上での必需品)などを合わせるとそれなりの金額になります。税金や健康保険、国民年金を入れても年間300万円くらいあればとりあえず十分だとは言えます。この金額を多いと見るか少ないと見るかは人それぞれでしょう。
私たちはいかに無駄なものを買っているか、モノに執着しているかということを示すためにゴミ屋敷や大量販売のスーパーが引き合いに出されます。ゴミ屋敷はモノに執着するあまり周囲の立地条件まで下げてしまっていると言えます。大量販売のスーパーで玉子を50個安く買っても使い切れずに駄目にしてしまうことも多いでしょう。
ここはシンプルにそのモノをうまく活用できているかという「もったいない」の精神で考えてもよいかなと思います。
大正時代くらいには一人が働きに出れば15人くらいを養えたのに、最近では一人が一人を養うのがやっとの状態になってしまっているのが問題だということになります。お金は他人のために使えというのが岡田斗司夫さんの持論です。
そのことを示す具体例を岡田斗司夫さんがやっているクラウドシティというソーシャルネットワークから二つ出されました。一つはメンヘラーの女の子に対して自分ができるのはお金を出すことだけなのかと書き込んだ男性の例です。岡田斗司夫さんの答えは「そうだ、そういうときにお金を使え」というものです。もう一つはニートの弟といっしょに住んでいるけれども生活費は2万円くらいしか増えていないし家事をしてくれるからまったく問題ないという「愛されニート」という言葉を生み出した女性の例です。
どちらの例もリアリティがあります。ところがもし設定を少し変えてみるとどうでしょうか。メンヘラーのおじさんにその男性はお金を出そうとするでしょうか。街にいるその辺のニートが家事をするといってその女性は弟と同じように住まわすでしょうか。若い女性だ、血縁者だという要素が決定的な気がします。また、仮にそうしたお金の出し方が可能だとしても、お金を出してもらっている人が虐待されたり奴隷のように扱われたりする危険性があります。大正時代の家の例だと働きに出ている家長が横暴な振る舞いをするということもよくあったと想像します。
岡田斗司夫さんは政府の役割を過小