野獣性と人間性:北朝鮮とどう向き合うか

大窪善人
 

今月16日、北朝鮮が金日成誕生記念日にあわせて弾道ミサイル発射を発射しました。

危険な挑発行為をくり返す北朝鮮にたいし、米国のペンス副大統領は、18日の安倍総理との会談で「平和は力によってもたらされる」と発言。空母艦隊を派遣して北朝鮮を牽制しました。

緊張状況のなかで北朝鮮と米国のあいだに挟まれた韓国、そして日本はどのように対処すべきなのでしょうか?

合理的に考えるなら…

一般に戦争はどの国家、国民にとっても最悪の選択肢です。皆それがわかっているので、もし戦争をちらつかせたとしても、多くの場合は威嚇や牽制による「力の均衡」にとどまるわけです。

しかし、その状況が成り立つにはある前提があります。それは、相手もこちらと同じように合理的に考えている、とお互いに確信していること、これです。

では、挑発してくる国家がもしも合理的に考えていなかったとしたら、どうなるのでしょうか?

獣と人

ここでひとつ補助線を引いて考えてみましょう。動物と政治をむすびつけたジャック・デリダの議論が役にたちます。

2001年~03年にパリで開催された講義のなかでデリダは、著名な政治思想や政治の議論において、たびたび動物の比喩が使われていることに注目します。その最たるものは、ホッブズ『リヴァイアサン』の「(自然状態において)万人は万人に対して狼である」という一節でしょう。

あるいは、「ならずもの国家(Rogue state)」の”Rogue”とは、共同体からはじかれた獣を意味するのだと言います。ヨーロッパでは古くから「狼男」、つまり”人間でありかつ獣”という表象が伝えられてきました。


 
チキンゲームは成り立つか?

さて、現実の国際政治では、もし相手が凶暴な獣なら、こちらは自衛のために戦わずに降参するしかありません。どういうことか説明しましょう。

二国間どうしの紛争は、ゲーム理論的に理解できます。ここでのポイントは、お互いに自らの選択は相手側の選択に左右されることです。

もし相手(B国)が理性的(人)なら、自らを守るためにどこかのタイミングで降参するはずです。なので、A国も人戦略をとれば最大の理想状態(平和)が得られます。

逆にB国が理性的でない(獣)場合どこまでもゲームを降りないので、A国(人戦略)は生存のために降参するしかありません。つまり、人は獣に勝てないということです。

だから、敵対する両国にとって取るべき最善の戦略は、(本当は人であっても)相手に対して自分が非理性的な獣であるかのように言い立てることです。

つまり、お互いに相手が”狼のふりをした人間”であると、なかば承知の上で、破局にいたらない程度の駆け引きゲームをするということです。

しかし、この”獣のふりをする”戦略とは、ようは毛皮をまとった人間なので、じつはそれほど怖い存在ではありません。

もっとも恐ろしいのは、もちろん”本物の獣“です。現在の北朝鮮・金正恩体制への懸念はここにあります。「もしかしてあいつは、本物の野獣なのではないか」、と(少なくとも、そう信じさせることにある程度成功しています)。

いずれにしても、この「獣-人」をどうやって国際社会のなかに引き入れていくのか、これが喫緊の課題でしょう。

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