岡本裕一朗『いま世界の哲学者が考えていること』:ポスト・トゥルースと現代思想


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大窪善人




(1970年01月01日)

 

トランプ大統領がパリ協定からの離脱を宣言しましたが、その理由は「地球温暖化はでっち上げだ」というもの。毎度おなじみの”トランプ節”です。

トランプ節といえば、大統領就任式の際、写真では明らかにオバマのときの方が多く集まっている聴衆の数を「過去最大」と評し、事実を伝えるメディアを「嘘つき」と罵倒した件が衝撃的でした。

トランプ氏、就任式の人数めぐり報道を「嘘」と攻撃 比較写真を否定/BBC.com
 

ところで、この一見バカげてみえるトランプ氏の言動ですが、哲学の最先端の議論をフォローすると、簡単には切って捨てることができない問題を含んでいることがわかってきます。

新しい実在論

21世紀の哲学の新潮流のひとつは実在論の復活です。
フランスのカンタン・メイヤスー(思弁的実在論)、ドイツのマルクス・ガブリエル(新実在論)ら若手の哲学者が議論をリードしており、カント以来の「相関主義」を批判しながら、思考から独立した”存在”それ自体の論証を目指します…。

何の話かちんぷんかんぷんでしょう。

私も岡本氏の『いま世界の哲学者が考えていること』を読んで、やっとイメージが掴めました。以下、私が理解した範囲で。

新しい実在論を理解するカギは、かれらが誰をライバルとみなしているかです。

まず古い実在論[…]によれば、唯一存在するのはベスビオス山だけです。[…]「構築主義」の立場では、三つの対象、つまり「アストリッドにとってのベスビオス山」「あなたのベスビオス山」「私のベスビオス山」だけがあります。それを超えて、対象や物それ自体があるわけではありません。

「構築主義」というのは、物の実在を、”○○さんから見た対象、△△さんから見た対象、☓☓さんから見た対象…”、という主/客の関係性として捉える思考で、18世紀のイマヌエル・カント以来発展してきました。

このカントが “新しい実在論”のライバルなのです

ちなみに、カントの有名な「物自体」という概念でいくと、誰も見ていない「物自体」としてのベスビオス山だけが実在で、各々がそれぞれの立場から見ているベスビオス山は幻想にすぎません。

さらにこれを推し進めると昨今話題の「エビデンス主義」、つまり、各々が見ている経験的なモノだけが実在するとなります。

「エビデンス主義」とはカントの「物自体」をちょうど裏返しにしたものなのです。


 

もう一つの事実は実在する!

このカント主義、エビデンス主義を乗り越えるとどうなるのでしょうか。

ガブリエルが提唱する「新実在論」は、少なくとも、四つの対象が存在すると考えます。①ベスビオス山 ② ソレントから見られたベスビオス山(アストリッドの観点)③ナポリから見られたベスビオス山(あなたの観点)④ナポリから見られたベスビオス山(私の観点)です。

つまり、新しい実在論は、カントの「物自体」と「エビデンス主義」的な実証至上主義の両方とも実在としてアリだとする議論なのです。
 

これを現実の社会に当てはめてみると、どうなるのでしょうか。

先ほどの、トランプ大統領就任式報道の直後、大統領顧問のK.コンウェイ氏が、「『過去最大』というのは『オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実)』である」と発言しました。

もちろん、マスコミは彼女が「嘘を正当化しようとしている」と批判しました。ですが、最先端の議論を踏まえれば、なんとトランプ側の主張は哲学的に正当化できてしまう、ということになるのではないでしょうか。
 

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