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次回イベント 〈大学改革、どうしてこうなった!?―「京大騒動」から見る大学のいま〉

百木です。
次回イベントのお知らせです。今回は「大学改革」について考えるイベントをやります。

ここ1~2年、京都大学を中心に「大学改革」の是非が話題になっています。
単純な反対論だけでなく、この「大学改革」問題をつうじて何が見えてくるのか、を幅広い視点からディスカッションできればと考えています。

今回は京アカ初のGACCOHさんのレンタルスペースをお借りしてのイベントになります。
大学生(京大生)以外の方でも、関心ある方はどなたでもご参加ください。
「大学」のあり方について、あるいは「大学」の外での学びについて、みんなで語り合いましょう。
みなさまのご参加をお待ちしております!

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大学改革、どうしてこうなった!?―「京大騒動」から見る大学のいま

【日時】 3月7日(金) 18:30-20:30

【場所】 GACCOH レンタルスペース http://www.gaccoh.jp/

※参加無料、ただし場所代としてひとり数百円程度のカンパを頂く予定です。
  参加希望者は事前に senriadachi<at>gmail.com (安達)までご連絡お願いします。

【内容】
18:30-あいさつ(百木)
18:40-(1) ローカルに見る大学:「京大騒動」この一年―思修館から総長選挙まで(安達)
19:00-(2)ナショナルに見る大学:文科省と国立大学の「絆」――法人化の前と後(渡邉)
19:20-(3) グローバルに見る大学:そもそも〈大学〉って?――大学の歴史を振り返る(百木)
19:40-質疑(司会:渡邉)
20:30 終了、希望者は親睦会あり

【告知文】

 京都大学構内を歩く…ふと目をとめれば工事現場。そういえば、ルネは去年新しく(狭く)なったし、吉田寮入口も工事用の壁で覆われています。建物・教室の名前も入学したころとは違っているらしい。

 目に見える変化だけではありません。思修館、国際高等教育院といった新しいしくみが、矢継ぎ早に出てきます。その都度、反対や皮肉の声も聞こえますが、結局ほぼすべて大学が決めたとおりに事が進んでいるようです。

 京大ばかりではなく、いますべての日本の大学が変わりつつあります。よく言われるのは次のようなこと。英語での授業を増やさなければならない。グローバル人材を作りださなければいけない。学生はコミュニケーション能力をつけなければならない。

 なぜ、これほどまで大学の不備が指摘され、休む間もなく制度が変わるのでしょうか。
 
 一つ目のレクチャーでは『「京大騒動」この一年』と題し、およそこの一年でおこった京大における大学改革をまとめます。さまざまな改革への疑問は松本総長に対する不満へと切り替わることも少なくありませんが、今回は「学生かくあるべき論」「総長の悪口」といったものではなく、改革と呼べる事実を淡々と追ってみることにしましょう。

 二つ目は、「文科省と国立大学の「絆」――法人化の前と後」と題し、大学を理解する上で見逃すことのできない文部科学省との接点を確認します。大学設置と評価、概算要求、人事などの点に触れながら、戦後から2004年の大学法人化にいたる数十年の流れを概観し、文科省およびその他の機関がいかに大学に関与しているのかを明らかにします。

 三つ目は「そもそも〈大学〉って?――大学の歴史を振り返る」。中世に成立した〈大学〉の歴史を大づかみに振り返りながら、現在、日本の大学が置かれている立ち位置を考えます。最近話題の「大学の外での学び」の可能性についても、希望・問題点双方の点から迫ります。

 (1)ローカル(2)ナショナル(3)グローバルという三つの空間的視点は、それぞれ(1)1~2年(2)数十年(3)数世紀という時間軸に対応します。三つの側面から大学のいまを追い、私たちの学びを問い直す二時間。

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大学とは何か (岩波新書)

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未来形の大学 [高等教育シリーズ] (高等教育シリーズ)

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古典を失った大学―近代性の危機と教養の行方

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大学教授という仕事

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【まとめ】第8回批評鍋『学力幻想』


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2014年最初の批評鍋では小玉重夫,『学力幻想』を取り上げました。
世間は入試シーズン真っ只中。教育にかかわるニュースや議論も多く聞かれます。他方、教育制度に関しては、グローバル化に対応することをめざして小学校での外国語教育が必修化されました。また、近年のいじめ問題を契機として、道徳や日本史の必修化が政府の方で議論されるなど、教育制度の改革の動きが高まっています。
ところで、教育とはそもそも何のために行なわれるのでしょうか。この疑問に対する最も単純な答えは「子どものため」というものでしょう。たしかに、学校教育は、読み書き計算など、社会生活で必要なの能力を学習する場です。しかし、それだけではなく、教育には社会の再生産や社会の革新などの複数の重要な機能があります。
では、なぜそこには光が当たりにくいのでしょう。著者は、いまの教育がある種の幻想(学力幻想)に包まれていると主張します。教育が子どものためにあるという発想もその一つだといいます。本書では学力幻想が作り出された歴史的な過程と思想的な背景を踏まえながら、その問題点と解決策を探っています。今回は、教育や教育支援の実践に関わっている船越と百木、浅野、大窪の4人で議論しました。

出演者:
船越克真
浅野直樹
百木 漠
大窪善人

話題一覧:
◯「ゆとり教育」とは何だったのか?
・戦後の教育論争。上から派(題解決型学習)vs下から派(体系型学習)
・そもそも「ゆとり教育」って何?
・ゆとり教育の狙いと誤解
・週休2日制は子どものためではなかった
・学力低下論背後には役所間の縄張り争いがあった
・脱ゆとり教育へ
・ゆとり/脱ゆとり教育に共通する前提
・ゆとり教育と教育格差
・教育における左翼的な傾向へのアレルギー
・教育にある複数の機能。社会の再生産と革新

◯幻想1 教育は子どものためにある
・教育の目的とは何か
・子供中心主義教育vs社会中心主義教育
・公教育の起源
・アーレントの教育論
・複数性と権威。アーレント思想の両義性
・日本社会での公教育の位置づけ―教育の公的支出の国際比較

◯幻想2 みんな頑張ればできる
・親が頑張れば子どもが育つ?
・メリトクラシーからペアレントクラシーへ
・教育格差論。文化資本論
・フランスや北欧で学校の宿題が出ない理由

◯教育と政治との関係
・学校に対する親や社会の過剰な期待とその背景
・公教育が直面する困難な問題
・学校外での社会の中での教育の可能性
・教育における「権威」の衰退と必要性
・「公共性」の意味の日本/西洋での捉え方の違い

【今回の鍋】
鱈と鰆の味噌鍋
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【参考資料】
公財政教育支出の対GDP比
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/siryo/__icsFiles/afieldfile/2012/11/07/1327455_5.pdf
(文部科学省,2012年)

【まとめ】第7回批評鍋『ゆかいな仏教』

第7回今年最後の批評鍋では、橋爪大三郎,大澤真幸,『ゆかいな仏教』を取り上げました。


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ゲスト
舟木徹男/宗教学
中森弘樹/社会学
レギュラー
浅野直樹
百木 漠/放送コメント担当
大窪善人/司会

話題一覧
10分で本の内容を紹介
・他の仏教本との違い
・仏教への挑発
・本書の主張

参加者からのコメント、論点
・仏教で肉食はOK?
・仏教界への不満(浅野)
・仏教の核心についての物足りなさ(百木)
・悟りの内容がXとして伏せられている(舟木)
・本書の信仰に対する態度について(中森)
・本書の特徴は教義中心に語っているところ(大窪)

信仰と知をめぐって
・社会学者は宗教の信仰の内容に関心を持つのか(中森)
・信仰と知の対立と学問的アプローチ(大窪)
・論理的・合理的に仏教を語ることの功罪(百木、中森、舟木)
・仏教の定義と信仰と知(大窪)

仏教と社会活動との関係
・大澤氏の「まえがき」の前提は半分外れ、だが、半分は当たっている(大窪)
・仏教が現状の日本で積極的な社会的役割を果たしていない?
・仏教の教義に内在する難点(大窪)
・仏教の社会活動はキリスト教など他の宗教の後追い?(舟木)
・仏教と特定秘密保護法問題
・「慈悲」と社会活動との対立(舟木)
・仏教にとって社会活動は逸脱的か?(中森)
・仏教の社会活動のアスペクト 「正法論」(大窪)

そもそも「仏教」とは何なのか
・「仏教にはドグマがない」という主張について
・「輪廻」は仏教のオリジナルではない(大窪)
・何十億年も先に一人程度しか覚れない、と言われて仏教徒は絶望しないのか?
「慈悲」「回向」はオマケ?
・3章以降は仏教の「オタク道」(舟木)
・日本人は仏教を拒絶的に受容してきた(大窪)

仏教は人間を救うか?
・本書は信仰、実存についての要素が弱い(百木)
・人間には「スイッチの切れない欲望」がある(中森)
・「悟り」に魅力を感じるか?(舟木)
・他宗教でも社会学でも悟りは開ける!?(大窪)
・僧伽(サンガ)と大学とのメタフォリカルな類縁性(大窪)
・現代の日本仏教への批判(浅野)
・仏教徒は自己チュー? 利他の問題について
・資本主義と仏教、仏閣ライトアップ問題
・日本仏教の不幸な歴史的経緯

まとめと告知
・課題としての日本仏教論(舟木)
・悟りのアウトソースという発想はできないか(中森)
・対称性の宗教としての仏教(百木)
・やはり仏教界に対する不満はある(浅野)
・幹と枝葉を見分けて原理に立ち戻ることが大事(大窪)

放送では言いきれなかったこと

宗教の話題はタブー?

先月に引き続き、批評鍋を開催しました。今回は批評鍋初の宗教ジャンルの本ということで、私にとっても、とても楽しい回でした。日本では「政治」、「野球」、「宗教」についての話題を公的な場に持ち出すことはタブーだと言われることがあります。その理由は、これらの話題には意見や信条の対立がつきものだからでしょう。もちろん、誰でも対立よりも調和や宥和が成り立つ状態の方がいいにきまっています。しかし、たとえ対立を引き起こしてでも、対話や議論を行なわなければならない場面があることも確かです(たとえば年金制度、遺伝子工学技術の導入の是非、憲法の問題)。また、日常的なコミュニケーションと公共的なコミュニケーションとがその結びつきを見失うとしたら、それは問題だと言われるかもしれません。以前京アカで、普段はなかなかできない、道徳、倫理、宗教について話せる場所を作れたらいいね、という話をしたことがあります。今回はそのはじめの一歩になったかなと思います。

■『ゆかいな仏教』に対する激烈な批判の理由

日本に仏教が伝わったのは今から千数百年も昔だといいます。今日、仏教は日本社会や日本人の精神に広く深く染みわたっているようにみえます。たとえば「縁起」、「四苦八苦」、「挨拶」のように仏教由来の日常語がたくさんあります。また、仏教についての本で広い支持を受けている作家も数多くいます。それから、NHKの「ゆく年くる年」は年末年始の風物詩になっています。その意味では、日本人の多くは仏教についてよく知っている、少なくとも仏教的な考え方に親しんでいると感じているようにみえます。
『ゆかいな仏教』は、出版されるやいなやインターネットに批判まとめサイトが立ち上がるなど激烈な批判に曝されています。これほど批判が集中する書籍も稀でしょう。そうした反応を引き起こした理由のひとつは、そこで語られている仏教観や解釈が、私たちの常識とあまりに違っていたからではないでしょうか。

■「思想の不法侵入」

大澤氏はある誌上で「思想の不法侵入」ということについて書いています。「不法侵入」とは何か? この言葉はもともと思想家 G.ドゥルーズから引かれたもので、人間は、通常の状態では物事を深く考えたりすることを欲しないという直感を前提としています。人間がほんとうに思想的に深く思考するのは、どうしても考えざるを得なくなるような、外的なショックが与えられたときだけだといいます。それを「不法侵入」という言葉で表しています。「不法侵入」は、より深い思考を(拒絶反応を引き起こしながら?)インスパイアする、いわば媒体なのです。
『ゆかいな仏教』は社会学の立場から、基本的な仏教の歴史

【告知】批評鍋12月号

今月もやります、第7回 批評鍋。
批評鍋は毎回一冊の本を決めて、その本についての感想を実際に鍋をつつきながら、京アカ・メンバーが話し合い、それをust放送するというものです。

今回の課題本は橋爪大三郎さん、大澤真幸さんの『ゆかいな仏教』を取り上げます。

ゆかいな仏教 (サンガ新書)

ゆかいな仏教 (サンガ新書)

<仏教よ、お前は何者なのか? […] 葬式仏教と揶揄されたり、「禅問答」のように、やたら難解なイメージがつきまとったりの、日本の仏教。もともとの仏教はでも、自分の頭で考え、行動し、道を切り拓いていく、合理的で、前向きで、とても自由な宗教だった! 日本を代表する二人の社会学者が、ジャズさながらに、 抜群のコンビネーションで縦横に論じ合う、仏教の真実の姿。日本人の精神に多大な影響を与えてきた仏教を知れば、混迷のいまを生きるわれわれの、有力な道しるべが手に入る!>(Amazon.com 内容紹介より)

仏教とは? 宗教とは? 市民社会と宗教との関係とは? 京アカ批評鍋初の宗教本に挑戦します!

<第7回批評鍋>
日時:12月22日(日)20時~21時半
課題本:『ゆかいな仏教』、橋爪大三郎、大澤真幸、サンガ新書
ustアドレス: http://www.ustream.tv/channel/kyoaca
(今回からustreamチャットでもコメントを受付けます。ぜひご参加ください。)

【まとめ】第6回批評鍋 『来るべき民主主義』

第6回目の批評鍋では國分功一郎『来るべき民主主義』を取り上げました。


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参加者:百木漠、浅野直樹、村田智子、大窪善人

話題一覧
○ 10分で本の紹介を紹介
・テーマは学問と社会的実践の架橋

○ 参加者からのコメント、論点
・論壇情報。『社会の抜け道』について(百木)
・参加型民主主義と新しい社会運動(百木)
・行政の肥大化の弊害

○ 社会運動の現在
・SNS、ネットメディアの有効性と限界(浅野)
・「敵をつらない運動」、しかし、旧来の社会運動には批判的?(浅野)
・現状批判/理想像追求タイプの社会運動(大窪)
・現状批判の社会運動は昔からそんなに多かったのか?(浅野)
・社会参加の敷居は下がってきたのか?(浅野)
・中間集団と社会参加の関係(浅野、百木)
・階級闘争的運動から生活形式をめぐる運動への歴史的展開(大窪)
・住民投票のハードルの高さと行政の拒絶性(百木)
・住民投票とは何か(浅野)

○ 政治哲学的な論点
・行政の肥大化問題(浅野)
・伝統的な政治哲学の問題点。行政を適切に扱えない(百木)
・行政の肥大化の日本特有の問題点。許認可行政など(大窪)
・制度と法(by G.ドゥルーズ)の議論(大窪)
・近親相姦と禁止のアナロジー(浅野)
・制度は、いろいろな居場所があること(浅野)
・運動を具体的な成果に結びつけるのは(百木)
・パブリック・コメント制度をより有効にするには

○ ポピュリズム問題と知識人の役割
・ポピュリズムをどう防ぐのか(大窪)
・なぜ民主主義を推すのか(浅野)
・熟議を通じた学びがポピュリズムを抑止する(百木)
・知識人の役割について(大窪)
・知、真理の擁護と自己決定の手助け(浅野)
・政治の専門家が実践に参加する意義(百木)
・國分さん、古市さんのスタンスの違い(浅野)
・京大問題。自治に対するアレルギーがある(百木)
・ある特定の実践への参加の公共的意義はどう評価するのか(大窪)
・それぞれの人が得意分野で働けばいいのでは(百木)
・当事者性とコミュニケーション(浅野)
・偶発的な出会いがきっかけになる(浅野)

今回は3ヶ月ぶりの批評鍋でした。本のテーマである小平市都道の問題は京都からははるか遠い話のようにもみえますが、ある普遍的な問題が含まれているようにも感じました。本書のなかで「政治文化」という言葉が出てきます。政治は、国会や役所や裁判所などの国家機関がきちんと働いてさえいれば問題がない、というわけではありません。政治を支える文化の充実が政治の成熟度合いを条件づける、ということです。著者がかかわった小平市の運動は、まさにこの点を重視した運動でもありました。ところで、政治や民主主義といえば、たびたび、どこかとても縁遠く、日常の暮らしとは関係がないことのように考えられています。たしかに、政治参加の機会は基本的には議会や首長の選挙のときに限られています(人びとが自由なのは投票のときだけで、それ以外は奴隷である、と看破したのはルソーでした)。しかし、政治文化の涵養ということまで視野を広げるなら、さまざまな社会運動や市民的な議論への参加もひとつの政治的参加であると呼ぶことができるでしょう。民主主義について考えるということは、べつに、なにか見たこともないような遠い問題について考えるというのではなく、日常の中にあるごく身近な問題について考えることでもあるのです。今回の読書会を通じてそんなふうに感じました。

【おまけ】

今回の鍋はアンコウ鍋でした。

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批評鍋で取り上げてほしい本があれば、kyotoacademeia@gmail.com までご連絡ください。
次回もお楽しみに。

大窪善人

【関連書籍】

暇と退屈の倫理学

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社会の抜け道

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熟議が壊れるとき: 民主政と憲法解釈の統治理論

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【告知】今週批評鍋を開催します

大窪です。今月はもう1本イベントを開催します。第6回 批評鍋を開催します。

批評鍋は毎回一冊の本を決めて、その本についての感想を実際に鍋をつつきながら、京アカ・メンバーが話し合い、それをust放送するというものです。

今回の課題本は國分功一郎さんの『来るべき民主主義』を取り上げます。
小平市都道328号線をめぐって2013年5月に行なわれた東京都初の住民直接請求による住民投票。著者は住民運動の参加を通して、現在の日本の民主主義の根本的な問題に直面しました。住民の声はなぜ政治に届かないのか。これまでの政治の考え方には決定的な欠陥があったのか。これからの新しい民主主義はどのようにあるべきなのか。いまもっとも注目される若手哲学者の提言です。
批評鍋では論壇の最新事情から、民主主義、哲学・思想と実践の架橋、社会運動のあり方、知識人の役割などについて自由に話し合います。いつもどおり京アカ・アカウントのust、twitterにてコメントも受付けます。

<第6回批評鍋>
日時:11月17日(日)19時~20時半
課題本:『来るべき民主主義』、國分功一郎、幻冬舎新書
ustアドレス: http://www.ustream.tv/channel/kyoaca

アカデメイア相談室第2回「労働問題総論」の報告

アカデメイア相談室第2回「労働問題総論」の報告をします。

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うまく見られないときはこちらから。

発表資料

第1部 法律に関する資格、法律の基礎

    • 登記や供託とは何か
    • 労働法は特別法であって一般法である民法よりも優先される
    • 民事訴訟の証拠上は署名も押印も同等である
    • 逮捕されてから起訴されるかどうかが決まるまでは最大23日間である
    • 行政に形式の整った書類を提出すると正式な返事がなされなければならない(受理しないということはできない)
    • 労働組合の正当な活動は刑事上も民事上も免責される
    • 試用期間中の人や失業中の人でも労働組合に加入(結成)できる

 

第2部 労働問題の実践的な知識

    • 正社員、アルバイト、パートの違い
    • 社会保険完備とは
    • 労働組合とユニオン
    • ストライキの意外な使い方
    • アルバイトやパートでも有給休暇を取得できる
    • (職場の)健康保険では病気やケガで働けない時に賃金の3分の2が補償される(傷病手当金)
    • 不注意で事故を起こしたりしても会社が損害賠償をしなければならず、その負担を従業員がしなくてもよい場合がある
    • 解雇と雇い止め
    • 労働者からの退職のしかた
    • 雇用によらない生き方

 

第3部 学問的な考察

    • 家族賃金モデル(賃金は能力や仕事ぶりの反映ではない)
    • メンバーシップ型雇用とジョブ型雇用
    • 労働と承認
    • 史的唯物論

 

それぞれ専門家からしたら当たり前のことばかりですが、そうした当たり前のことを幅広く知ってもらうのがこのイベントの趣旨です。

「ためになった」、「おかしいと思っていたことにこれからは反論できるようになった」といった感想が聞かれました。そしてここから次回のテーマも見えてきたので、これからもよろしくお願いいたします。

アカデメイア相談室第2回「労働問題総論」開催のお知らせ

アカデメイア相談室第2回「労働問題総論」を下記の要領で開催いたします。前回は参加者が少ないながらも熱を帯びたやり取りが交わされました(アカデメイア相談室 第1回 「くらしの法律相談~消費者 労働問題」の報告)。タブーなしで何でも率直に議論いたします。ぜひ当日お越しください。

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<日時・場所>
日時:2013年11月4日(月・祝)18時30分~20時30分
場所:ひと・まち交流館 京都 第5会議室(京阪電車「清水五条」下車 徒歩8分、市バス「河原町正面」下車スグ)
*参加無料
*相談大歓迎(事前に、あるいは当日寄せられた相談に可能な限り答えます)

<内容>
労働問題について、法律、現場の知恵、学問的な見地から総合的に考えます。前半は担当者が発表を行います。http://www.ustream.tv/channel/kyoacaでUstream中継もする予定です。後半は当日参加者でフリーディスカッションをします。素朴な疑問も大歓迎です。
アカデメイア相談室第2回「労働問題総論」|イベント情報|京都アカデメイアに発表資料を載せました。

<担当者紹介>
浅野直樹(京都アカデメイア)
行政書士、社会保険労務士有資格者。大学院で社会学や哲学・思想系の研究を行い、労働問題の現場経験を積みながら、現在は法律の学習に力を入れています。浅野直樹の学習日記

当日は16時~18時に京都アカデメイアの11月作戦会議も行います。正会員(になるかもしれない人)はどうぞご参加ください。16時にひと・まち交流館 京都1階正面入口に集合です。

アカデメイアカフェ開催しました

先月末、四条・生きている珈琲でアカデメイアカフェを開催しました。今回は6月に「経済成長」をテーマにしたカフェのシリーズ企画・「経済成長と幸せ」を行いました。前回のリピーターの方、今回はじめての方もたくさん来ていただき、充実した内容となりました。前回は、参加者のみなさんと経済成長推進派/脱成長派にわかれて議論しました。対して今回は、あえてあらかじめ主催者側で対立軸は設定せずに、みなさんと論点や対立軸を探していくというスタイルで進めました。

「幸せ」を定義することは難しい。幸せとは、たとえば、好きな音楽を聞いたり、好きな本を読んでいるとき、好きな人と一緒にいるとき、あるいは、美味しいコーヒーが飲めて嬉しいというような、主観的な感情です。しかし同時に、幸せとは、社会調査の分析や社会政策の目標、あるいは哲学的な思索の対象となるような、客観的なできごとでもあります。最近話題になった古市憲寿さんの本では、いくつかの統計データをもとに、現代の若者の多くが(主観的には)いまの生活に満足していると感じているということを描きだしました。その結果は、2000年代以降の格差の拡大や日本経済の停滞が深刻な問題となっているという現実がある中で、多くの人に驚きをもって受け取られました。また、「世界一幸せな国」として紹介されているブータンでは、GDPとは別にGNH(Gross National Happiness/国民総幸福)という指標を設定し、それをもとに国家の政策を進めてもいます。

ディスカッションでは、幸せをめぐる時代・世代論的な論点で盛り上がりました。戦後の日本社会ではずっと、目の前の抑圧や障害を取り除いていくことで幸せを達成してきたという意識がある、しかし、他方で、現代では昔とくらべて充分に豊かになり、目にみえる障害が少なくなったにもかかわらず、かえって幸せや自由を実感しにくくなっているように感じられる、と。あるいは、逆に、本当に社会や個人は自由になってきたのかという鋭い意見も出ました。たとえば、就職活動での一見個人の選択肢の拡大にみえることが、同時に、就職をしなければならないという選択を自明の前提としている、というように。たしかに、それは、「抑圧的寛容」(H.マルクーゼ)とでもいうような、制限付きの自由であるに過ぎないと言うべきかもしれません。
よりよい幸せはどしたら実現できるのか。また、そのときに経済はどのようなあり方がふさわしいのか。簡単には答えの出ない難しい問いですが、今回、議論を通して、事後的にさまざまな論点や対立軸が見出されたことには公共的な意味があったのではないか、と思います。

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大窪善人

今月 生きている珈琲でイベントします

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アカデメイアカフェ ―経済成長と幸せ

アカデメイアカフェ at 生きている珈琲 第二弾!
今回は「経済成長と幸せ」というテーマについて考えます。前回のアカデメイアカフェは、経済成長についてYes/Noの立場に分かれて議論を交わしました。シリーズ2回目の今回は、参加者みなさんと議論をより深めるために、”幸せ”というテーマをプラスしました。幸せについて普段感じている素朴な感覚や経験から、経済成長がもつ意味について、あらためて考えてみたいと思います。予備知識は必要ありません。美味しい珈琲を飲みながら、みんなで議論しませんか? 前回参加していただいた方も初めての方も、ご都合の合う方はお気軽にご参加ください。

・日時:2013年9月27日(金)午後8時~9時半頃
・会場:生きている珈琲(京都市下京区立売東町 みやの四条ビルB1F,ジュンク堂書店京都店 東側スグ)

・参加方法 ドリンク一杯で参加できます。途中入退出も自由です。当日 直接会場までお越しください。

・主催・協力:NPO法人京都アカデメイア/生きている珈琲
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