今年のまとめ:真理以後の時代?


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大窪善人

AFP 2016/ JIM WATSON

今年は重大ニュースが目白押しの一年でした。アメリカ・トランプ大統領の選出やイギリスのEU離脱などは世界を驚かせました。

イギリス・オックスフォード辞書は今年一年を表す言葉として「ポスト真理(post-truth)」というものを選びました。

要は、客観的事実にもとづく理性的な議論はどうでもよく、ウソでもいいから人々の感情に訴えた者が勝利すると。その背景にはテレビ・新聞などの旧来のマスメディアが衰退する中で、SNS上でのワンフレーズ的コミュニケーションの広がりもあるのでしょう。

ところで、だとするとなぜ真理を擁護しなければならないのでしょう。なぜ感情よりも真理にこだわる必要があるのでしょう。「ポスト真理」ではいけない理由は何なのでしょうか。

なぜ真理が大事なのか?

以前私は、現代社会における芸人的なものの上昇について、「真理」から「笑い」へのコミュニケーション構造の転換としてスケッチしました。

【レビュー】太田省一『芸人最強社会ニッポン』:面白ければ何でもOK?

たとえばハイデガー的な意味で「真理」とは、自分自身の死への強烈な自覚を媒介するという点で、じつは多くの人にとって自明なものではありません。つまり、真理をめざすコミュニケーションは、もともとありそうもないことだったのです。

では、にもかかわらず、私たちの社会が曲がりなりにも真理(あるいは正しさ)についてのコミュニケーションを尊重してきたのはなぜなのでしょうか。宮台真司の近著『正義から享楽へ』が参考になります。

「真理」や「正義」が重要になるのは、私たちが見ず知らずの他人と同じ社会を営む「大規模定住社会」を生きているからです。「真理」「正義」は複雑な社会を統合する普遍概念で、特定の社会や国家の枠をこえてゆくものです。

一方でトランプ勝利に見られるような「真理をめざす政治」から「感情の政治」への転換の背景には、経済のグローバル化を要因とする先進各国の中間層の分解があるといいます。

身も蓋もない言い方では、充分に多様性を尊重し「真理」や「正義」について考えることができるのは、経済的にもソーシャル・キャピタル的にも豊かな社会だけだったと。ところが、いまや「真理」や「正義」が実際にコミュニケーションの規準として機能することを支える社会(学)的パラメータが変化しているというわけです。

喜ばしき知恵

「真理」から「感情」へ。もはや「ポスト真理」以外に道はないのでしょうか。宮台氏によれば、正義を語るリベラルや左派が負けていくのは、かれらの主張が「正しいがつまらない」からです。だから、問題なのは「真理」「正義」と「享楽」をいかに一致させるかを考えることである、と。

ところで、かつてニーチェは真理について、人間が人間である以上必要不可欠である「生存の条件」だと考えました。しかし、もちろん宗教や形而上学なき時代の真理とは、究極的な真理になりえないという意味でそのつどの「誤謬」に他なりません。

ですが逆に考えれば、その絶対的な真理の不在ということから、ハイデガーとは別の真理の語り方というものがありえないでしょうか。つまり「喜ばしき知恵」としての真理というものが。




(1970年01月01日)

 

今年のまとめ:真理以後の時代?」への3件のフィードバック

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