「ビットコイン」「ブロックチェーン」「フィンテック」…
仮想通貨についての話題が注目を集める昨今。
大手銀行 三菱UFJも今年の秋頃にも仮想通貨「MUFGコイン」を発行すると発表し、大きな注目を集めています。
「ビットコインが社会を変える」「インターネット以来の技術革新」などと興奮気味に語られたりしていますが、本当でしょうか?
もしそれだけの影響があるなら、具体的に何がどう変わるのかとその社会(学)的インプリケーションが気になります。
ビットコインとは?
ビットコインとは、一言でいえばインターネット上で流通する仮想通貨のことです。
たとえば、『ポケモンGO』の「ポケコイン」のような、オンラインゲーム内でより良いアイテムや道具をゲットするためのお金。これも仮想通貨の一種です。
ちがうのは、ビットコインは日本銀行券などの「法貨」と交換できるということ。つまり現金化できることです。
そして、もうひとつのポイントは、ビットコインと法貨の価値が独立している、変動相場だということ。
この両方の要素によって短期的な投機も呼び込まれています。
では、ビットコインの社会的インパクトはどこにあるのでしょうか。
まずは、野口悠紀雄氏も指摘するように決済手段としての利便性です。ビットコインは手数料が非常に安いので、海外への送金や100円、200円単位の小口の振込みにたいへん有利だといいます。
しかし、それだけなら「インターネット以来の技術革新(!)」は持ち上げすぎな気がします。本当にそれだけなのでしょうか。
交換が贈与になる世界
斉藤賢爾氏の議論が興味深いです。
ブルース・スターリングが書いたSF小説に「招き猫」(1997)というのがあります。
舞台は近未来の日本。「招き猫」というのは独自の経済圏をつくっているコミュニティの名前です。メンバーは「ポケコン」という端末を携帯しています。
そのコミュニティではポケコンから人間に指示が常に飛んできて、貨幣経済とは共存しているのですが、独自の経済をつくっています。例えば、スターバックスに行ってコーヒーを頼んだら、ポケコンから「同じものをもう一杯買え」と言われます。それで了承して、貨幣を用いてもう一杯買って、家に向かって歩いていくと、ベンチに座っているやつれたビジネスマンがいて、「この人に渡せばいいの?」とポケコンに聞くと、「そうです」と言われて、コーヒーを渡します。すると、見ず知らずのその人が「 あなた誰?」と驚きつつも、コーヒーを飲んだら「これは私の好きなコーヒーだ。ありがとう!」となるのです。
ビットコイン/ブロックチェーンからみえる未来の働き方/斉藤賢爾+中山智香子,「現代思想」Vol.45-3,2017
この贈与経済のネットワークに参加すると、ひっきりなしに人助けをする見返りに、自分もいろいろな人に助けられます。そして、その裏では人工知能が勝手に膨大な計算を行って、全体の調整を行うというわけです。
文字通りSFみたいな話ですが、このようなことが近い将来、ほんとうに実現するかもしれないと言います。
ビットコインも、P2Pというネットワーク技術を利用していて、日本銀行のような貨幣を発行する中心主体がないのが特徴ですね。
ここで重要なことは、利己的な個々人を情報技術が結びつけることで、結果的にはみんなが利他的に行為したのと同じことになるということです。
18世紀の経済学者 アダム・スミスふうにいえば「神の見えざる手」が、しかも”道徳感情ぬきで”働くわけです。
仮想通貨社会で価値が上がるものとは?
さて、このような仮想通貨社会で価値あるものとは一体何でしょうか?
たしかに、情報技術がもたらす贈与経済は結構なものに思えます。しかし、そこで行われる贈与はほんとうに「贈与」なのでしょうか?
先ほどの話のなかで人々が施しをしようとするのは、そうすることが自分にとっても利益になると知っているからです。つまり、贈与が全面展開した社会とは、逆説的に、ほんとうの意味で贈与することが非常に困難な社会なのではないでしょうか。
経済的価値の高低を決めるのはモノの「希少性」です。
仮想通貨社会では、贈与とか信頼、共感、無条件の善意といった、システムの外部からやってくる人間の”ありそうもない”感情が、ますます希少価値になっていくのかもしれません。
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