夏になると観たくなる映画や、読みたくなる小説があります。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』もそのひとつです。「ケンタウル祭」「プリオシン海岸」「サウザンクロス」… 幻想的なイメージや寓話的なエピソードが、碁石のように散りばめられているみたいで、気に入っています。
しかし、賢治の作品が多くの人を惹きつけるのは、どうしてなのでしょうか?
ジョバンニの切符
主人公の少年ジョバンニは銀河鉄道の「どこまでも行ける切符」を持っています。切符は「おかしな十ばかりの字を印刷したもの」でした。では、なぜジョバンニの切符だけが特別だったのでしょうか?
もしジョバンニを賢治自身の投影として見るなら、切符に書かれていた文字とは法華経の題目、つまり「南無妙法蓮華経」でしょう。よく知られているように、青年 賢治は法華経に帰依し、日蓮系の宗教団体にコミットしています。しかし、それならば、切符の文字は「十」ではなくて「七文字ばかり」となるはずです。
やはり見当違いの読みだったのでしょうか。いえ、そうとは限りません。松岡幹夫氏の議論に照らせば、「七文字」ではあまりにもあからさまなので、あえて「十ばかりの字」としたということも考えられます。
ところで、賢治は法華経の信仰者である一方、当時最先端だったアインシュタインの相対性理論をはじめ、近代科学の思考を旺盛に取り入れています。「銀河鉄道」というSF的な発想はさまにその賜物でしょう。
しかし、そもそも宗教的な信仰と科学的な合理性とは、相容れないものではなかったでしょうか。たとえば、マックス・ウェーバーは、宗教的な見方は、「不合理であるがゆえに我信ず」のごとき「知性の犠牲」を強いるものであると批判しています。では、宮沢賢治は、近代的な思考を学んだ、”にもかかわらず”、宗教的な信仰にも帰依した、と。
ほんたうのさひわい
銀河鉄道が「サウザンクロス」の駅に差しかかったとき、ジョバンニがそこで降りようとする青年たちと言い合いになるシーンがあります。
「ここでおりなけぁいけないのです。」[…]
「厭だい。僕もう少し汽車へ乗ってから行くんだい。」ジョバンニがこらえ兼ねて云いました。[…]
「だけどあたしたちもうここで降りなけぁいけないのよ。ここ天上へ行くとこなんだから。」
女の子がさびしそうに云いました。
「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなけぁいけないって僕の先生が云ってたよ。」
「だっておっ母さんも行ってらっしゃるしそれに神さまが仰っしゃるんだわ。」
「そんな神さまうその神さまだい。」
「あなたの神さまうその神さまよ。」
「そうじゃないよ。」
「あなたの神さまってどんな神さまですか。」青年は笑ながら云いました。
「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」
そして、途中の駅でお客が次々と降りてゆくなか、ジョバンニ(と親友のカンパネルラ)は「ほんたうのさひわい」を探して旅を続けようと約束するのですが…。
「駅を降りる=探求の断念」だとすれば、「どこまでも行ける切符」とは、ジョバンニ=賢治が、どこまでも答えを探し求めていくことができる、ということです。賢治の生家は、念仏の声が絶えぬ熱心な浄土教の家庭でした。そして、彼の法華経の信仰は、その「家からの解放」として、自ら選びとられたものでした。
死はわたしたちを、「宗教」と名のつくものであってもなくても、その死の時に信じていたもののところで永劫に立ち停まらせる。プリオシン海岸を発掘する背の高い学者は、生きている者の世界の「科学」のパラダイムやエピステーメーがどう変わろうと、彼の信ずる科学の証明を永劫に発掘しつづける。鳥捕りの人の、主義といわず思想といわずにただ行われる生活の信仰もそうだ。
それでもジョバンニはどこでも降りない。銀河鉄道のそれぞれの乗客たちが、それぞれの「ほんたうの神」「ほんたうの天上」の存在するところで降りてしまうのに、いちばんおしまいまで旅をつづけるジョバンニは、地上に降りてくる。
ひとつの宗教を信じることは、いつか行く旅のどこかに、自分を迎え入れてくれる降車駅をあらかじめ予約しておくことだ。ジョバンニの切符には行く先がない。ただ「どこまでだって行ける切符」だ。[…]ジョバンニは「宗教」の仕掛けるものを走りぬけてゆく。真木悠介(=見田宗介)「性現象と宗教現象」
賢治にとって「ほんたうのさひわい」とは、宗教が予め与えた真理”ではなく”、自ら探し求めるべき目標のことだったのです。だから、賢治にとっては宗教と科学との結びつきは、むしろ肯定されるのです。つまり、賢治は、近代的な思考を学んだ、”であるがゆえに“、宗教的な信仰にも帰依したのだ、と。
彼方よりも彼方へ
「ほんたうさひわい」を探す銀河鉄道の旅。ところで、「銀河鉄道」という着想の源は、当時普及しつつあった実際の鉄道でしょう。「いまここ」から「ここではないどこか」へ。各地方を東京、あるいは、大陸 満洲という、国家(ネーション・ステート)の中心へと結ぶ鉄道は、全国の多くの人々にとって「理想」を媒介するメディアでした。
賢治も何度か汽車で上京しています、しかし、あまりよい思い出ではなかったようです。賢治にとっての「理想=ほんたうさひわい」をめぐる旅は、むしろ、ネーション・ステートの周縁へと向かいます。
二二年十一月には、賢治の固有の対ともいうべき妹とし子を喪っている。[…]一九二三年七月、八月には、賢治の生涯でいちばん遠くまでの旅に出ている。『オホーツク挽歌』行である。この当時の日本の地図の北限にあった樺太(「サガレン」)に至るこの時の旅が、賢治にとって、とし子の存在のゆくえを求める旅であった[…]『銀河鉄道の夜』の骨格が構想されるのは、この挽歌行の時である。<銀河の鉄道>は第四次元に、あの<透明な軌道>の方に、離陸した樺太鉄道である。
見田宗介『宮沢賢治』
こうして、見田宗介氏の著作を通じて、賢治の作品の魅力のひみつに迫ることができます。なぜ彼の作品が魅力的であるのか。それは、彼の作品が、一方で、「いまここ」からの想像力の解放を、それも、「ここではないどこか」以上の「どこか」、「彼方以上の彼方」のような、「いまここ」からの徹底した「離陸」の契機を描いているからではないか、と。
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