トッド・マガウアン『クリストファー・ノーランの嘘』:真実を知ろうとしない欲望


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大窪善人


クリストファー・ノーランの噓 : 思想で読む映画論

フィルムアート社(2017年07月19日)

 
本書は、『インセプション』『バットマン ビギンズ』などで知られるノーランの本格的な批評集です。

パラパラめくるとプラトンやハイデガー、ニーチェ、ラカンなどの思想家の名が出てくるので一見難しそうですが、「思想で読む映画論」という副題の通り、あくまで作品を深く知るための道案内なので心配はいりません。

ノーラン映画に通底するテーマは「嘘」。
彼の出世作『メメント』(2000年)を扱った第2章から紹介しましょう。

〈 保険調査員のレナード(ガイ・ピアース)は、ある日、何者かに妻を暴行され殺害されてしまう。彼もそのときに受けた傷によって10分間しか記憶を維持できない「前向性健忘症」を患う。犯人への復讐を求めて、出会った人物や場所、出来事を写真に記録し、自らメモを書き込んでいく。さらに重要なキーワードはタトゥーとして体に刻み込む。はたして彼は事件の真実にたどり着けるのか? 〉
 

レナードが執拗に自筆のメモや写真に拘るのは、他人に「カモられ」ないための工夫です。しかし、にもかかわらず、最終的に彼は欺かれ破滅してしまうのです。なぜか?

この映画の最大の特徴は、時系列が逆に描かれるところにあります。ひとつ数分の断片が未来から過去に向けて順々に流れるという構成。

わざわざそんな複雑な撮り方をした理由は、事件の発端に何があったのかを際立たせるためです。発端(つまり映画のラスト)で明かされる事実、それは、レナードが真実を知りつつ、嘘の内容のメモを書き残していたことです。

『メメント』は、レナードを最初に(うわべは)知る主体として確立し、彼が欲望する主体であることを明らかにして終わる。それは、知る主体の概念が持つ影響力を示したのち、それを転倒するためである。[…]観客は、起源となる真実を目撃するのではなく、起源となる嘘を目撃する

彼はほんとうの真実(復讐の完了)ではなく、彼が見たいフィクション(犯人を探し続けること)をこそ求めていたのです。自己欺瞞の前には客観的なエビデンスも無力です。

「ポスト・トゥルース」「フェイクニュース」、嘘が真実よりも力をもってしまった現代。私たちが向き合わなければならない課題はここにあります。
 

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(1970年01月01日)

 

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