なぜ暴力はいけないのか:ウェーバーから考える

大窪善人


 
ジャズ・トランペット奏者 日野皓正氏の体罰事件が連日話題です。

体罰は是か非か。
事件については詳細がわからないので確たることは言えませんが、近年も学校での体罰を苦にした生徒の自殺は後を絶ちません。
その背景には、世間の根強い「体罰容認」の風潮があるように思います。
 

なぜ暴力はいけないのか

社会学的に考えてみましょう。社会学の巨匠 マックス・ウェーバーは、支配・服従には正当性、つまり「正しさ」が不可欠であると考えました。これが参考になります。

なぜ体罰や暴力によって従わせるのはダメなのでしょうか? 答え。負担やコストが大きすぎるから。

たとえば、力だけで支配している場合を考えてみます。

もし、あるとき、病気や怪我で、主人より奴隷のほうが腕力が勝ってしまったら、どうなるでしょうか? だれも主人の命令に従わなくなりますね。
さらに、主人はそのことを知っているので、つねに奴隷の反抗に怯えながら筋トレをし続けなければなりません。

つまり、暴力による支配とは、本来とても不安定かつ不条理なものなのです。だから、この支配がもっともだと納得してもらう根拠がほしいわけです。”合理的な支配には正当性が不可欠”、これがウェーバーの眼目です。
 

カリスマ的支配

ウェーバーは、正当性がどのような基準でなり立つのか、かなり詳しく論じています。「伝統的支配/カリスマ的支配/合法的支配」という有名な三類型があります。今回は、二つ目の「カリスマ的支配」を取り上げてみましょう。

カリスマ的支配とは、特定の人格が及ぼす範囲内における命令の妥当性。わかりやすく言えば、「この先生は人格的にとても尊敬できるすごい人だ、だから言うことを聞こう」。

ところで、この悪い例が北朝鮮ですね。北朝鮮は国民を支配するために、暴力も使いますが、カリスマ的権威も利用します。あの多大に飾り立てられた指導者の偶像がまさに象徴的です。
 

理想は、本当にみんなが尊敬できる人物であることでしょう。その一方で、「暴力や体罰を使え」というのは、裏を返せば、所詮、”暴力でしか言うことを聞かせられないんだ”という話で、本当はとても情けないことです。

はたして、暴力を使わなくても、よりよい秩序がなりたつにはどうすればよいのか。このことに知恵を絞りませんか。
 

おすすめの本


権力と支配

講談社(2012年03月21日)

 

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