哲学とは何なのか?
“考えること”は”感謝すること”である、とハイデガーは述べました。
(哲学とは? その2:考えることは感謝することだ)
でも、この議論に納得できなかった人も少なくないでしょう。
なぜなら、それは英語やドイツ語で考えているからであって、日本語を使っている私たちとは関係ないのではないか-
“考えること”=”感謝”とは、結局のところ、西洋でしか通用しないローカルな話に過ぎないのではないのか、と。
たしかにもっともな意見です。
ハイデガーは、彼がふだん使っているドイツ語やその起源であるラテン語、ギリシア語にさかのぼって考えたのでした。
私たちがほんとうに納得できるとしたら、それは日本語でハイデガーと同じ結論にたどり着いたときです。
考える=迎える
批評家の小林秀雄は、本居宣長を引きながらこう述べています。
彼〔宣長〕の説によれば、「かんがふ」は、「かむかふ」の音便で、もともと、むかえるという言葉なのである。「かれとこれとを、比校(アヒムカ)へて思いめぐらす意」と解する。[…]考えるとは、物と親身に交わる事だ。
『考えるヒント 2』文藝春秋、84頁、〔〕は筆者による。
これを受けて鷲田清一氏は、
そういう「かむかふ」は、物の経験においてではなく、語らいというかたちで他者の面前に立つときには、下りることのできない張りつめた場にじぶんを置くことを意味する。なぜなら他者に語りかけることだけでなく、他者からことばを差し向けられたときのそのことばの受けとりかたもまたまぎれもない他者への語りかけのひとつとして、意味をもつからである。
『「聴く」ことの力』 筑摩書房、20頁。
「考える」という営みは、ひとり部屋に引きこもってなす孤独な作業ではなく、さまざまな物や人びととの交わり=コミュニケーションの只中で行われるものであると。
「考える」という言葉には、すでにそのような意味が刻み込まれているのです。
敵の歓待
ちなみに、さきに「かんがふ」という言葉は「むかえる」に通じると言いました。ではいったい”誰”をむかえるのでしょうか?
療養所・休憩所をさす「ホスピス(hospice)」とはラテン語で「むかえる」を意味します。そして、この「ホスピス」は、なんと、「敵」を意味する「ホスタイル(hostile)」と同じ由来なのです。
「他者との語らいがつねに緊張をはらむ」本質的な理由はここにあります。
ほんとうに歓待し、むかえるに値する他者、それは、自分の意思ではどうにもならない、”ままならない存在”なのではないでしょうか。
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