「感謝」という言葉ほど美しく、かつ胡散臭いものもないでしょう。
ハイデガーが「思考=感謝」と語るとき、そこで何が意図されていたのかが重要です。
なぜ考えることは感謝することなのか?
誰に感謝するのか…?
ハイデガーは存在について深く考え抜いた哲学者です。
彼は「存在」と「存在者」を区別します。
「存在(ザイン)」とは”ある”ということそれ自体、一方の「存在者(ダス ザインデ)」とは、人とか机のような”あるもの”を指します。
なぜわざわざそんな区別をするかというと、「存在」は「存在者」と違って、いつもここではないどこかに隠されてあるからです。それをハイデガーは「コーリスモス」と呼びます。
「コーラ」とはギリシャ語で「場所」という意味です。存在と存在者との場所の解離。つまり、いま目の前に現れている存在者は、存在のあるべき真の姿ではない。本質はどこか別のところにある、と。
ギリシャの哲人パルメニデスの「思惟すること=存在すること」やデカルトの「われ思う、ゆえにわれ在り」という格言のように、ものごとの「存在」は、誰かがそれについて考えることではじめて、実際に「存在するもの」として現れます。
もし考える人が一人もいなくなれば、”それ”は存在しないのと同じことです。
哲学とは共に考えるということ
しかも私たちの思考は、ショーペンハウエルが言うような「世界のすべてはこの私の意志の表象」に過ぎないのではなく、何千年もの永い時間をかけ、たくさんの思索者たちによって伝承されてきた、思惟の歴史と共にあるわけです。
たとえば、NHKの「ハーバード白熱教室」でおなじみのマイケル・サンデルはジョン・ロールズの批判で有名になった人ですね。ロールズの正義論の元ネタはカントです。
そこでサンデルは、さらに時代を遡って、古代ギリシャのアリストテレスを尋ねたわけです。
だから、思考とは、存在から存在するものへ、あるいは過去から未来へと届けられた「贈り物」を受け取るということなのです。
では、その贈り物を、私たちはどうやって受け取るのでしょうか?
その話はまた次回に。
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