「考えることは『感謝』であり『贈り物』である」。
でも、まだぼやんとしています。
本当にそうなのか? だとすれば、どうやって受け取るのか…?
「思考はヒゲのようなものだ」とある哲学者は言いました。
その解釈は、
① どちらも成長する。
② 別になくても困らない。
というか上手く生きていくためには、むしろ邪魔なものかもしれません。
「教養が邪魔をする」
「知らない方が幸せだった」
とすると、哲学的な思考は「感謝」どころか、とんだ”ありがた迷惑”ということになるでしょう。
なぜネットは猫の動画ばかりなのか?
ところで、近年の猫人気には目を見張るものがあります。
ペットフード協会の調査によると、ペットの犬の数が減ってきている一方、猫の数は増えています。この調子で行けば近い将来、猫が犬を上回るかもしれません。
インターネットでも猫は大人気です。なんとウェブ上のデータのうち15%が猫に関するものだという説もあります。
なぜこれほど猫は人気なのでしょうか。
一般的な解釈としては、猫は散歩できないからとか、神秘的な魅力があるからなどと言われます。
しかし、精神科医の斎藤環氏は別の理由を指摘します。
「猫の身体の無意味性」です。
なぜ猫はゴロゴロと鳴くのか。なぜ自分の尻尾を追いかけるのか。なぜ人と目を合わさないのか、なぜ舌をしまい忘れるのか…、とにかくナンセンス、謎だらけです。
「身体性の謎」は、謎であるがゆえにさまざまな感情移入や解釈を誘発せずにはおかない。[…]猫は最もキャラ化されやすい動物である。[…]猫をキャラ化するうえで「欠如」が鍵を握っている[…]早い話が、ドラえもんには「耳」がない。ハローキティには「表情」がない。ジバニャンに至っては「実態」すらない。
斎藤環「欠如ゆえの愛」,「現代思想」Vol.44-4,2016,93-5頁
この謎=欠如を埋めたいという衝動そこが猫人気の秘密ではないか、と。
猫の身体に魅惑的な謎が宿るのは、私たち人間にとって、猫が何を見つめているのかがよくわからないからです。
ゆえに解き明かされるべき謎の本態は、猫のまなざしの先に向けられるわけです。「いったい猫は何を見つめているのだろうか」と。
猫は真理を見つめる
さて、ここでようやくはじめの問いに戻ることができます。
ハイデガーの考えでは、思考とは「存在」からの贈り物を受け取るということでした。でも、いかにして?
ここで先ほどの猫の話が役に立ちます。
かりそめな猫の動きやまなざしは、私たちをふと不安な気持ちにさせます。その理由は、猫が「いまここ」ではなく「ここではないどこか」を見つめていると感じられるからではないでしょうか。
“コーリスモス” つまり “存在するもの”から”存在”へ…
「何かが欠けている」という意識こそが、私たちを真理へと至らしめるための思考の条件に他ならないのです。
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