永遠平和のために⑤:許される悪とその敵

大窪善人

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今年8月に公開されたDCコミックス・シリーズ原作の映画「スーサイド・スクワッド」。このシリーズにはスーパーマンやバットマン、ワンダーウーマンなど「メタヒューマン」と呼ばれる超人的な能力を持った人物たちが登場します。

悪をもって悪を制す?

前作でスーパーマンが死去し、米国政府はメタヒューマンによる被害を防ぐため特殊部隊をひそかに組織します。その名も「スーサイド・スクワッド(決死部隊)」。

集められたのは、殺し屋のデッドショット(ウィル・スミス)やジョーカーの恋人のハーレイ・クイン(マーゴット・ロビー)など一癖も二癖もある「悪党(ヴィラン)」ばかり。成功すれば減刑、ただし逃亡したり命令に逆らえば即処刑という過酷かつ非人道的な任務。

一応、映画自体はポップでスペクタクルなつくりですが、現在の政治的コンテクストに照らしてみると感慨深いものがあります。

対テロ戦争の衝撃

2001年のアメリカ同時多発テロの後の「テロとの戦い」は、単純な「正義 対 悪」という図式で正当化されました。しかし、そうした悪を生み出したのが、じつは正義を掲げている側だったとしたらどうでしょう? いや、むしろ正義の側自身がじつは悪に他ならなかったのだとしたら?

映画は、極悪人たちが収監されている「ベル・レイヴ刑務所」からはじまります。犯罪者たちは皆オレンジの囚人服を着ているのですが、その映像は、あの悪名高いグアンタナモ収容キャンプを彷彿とさせます。

グアンタナモ収容キャンプとは、アメリカがキューバから永久租借している米軍基地にある収容所で、アフガン、イラク戦争で捕まったテロリスト”被疑者”が現在も数百人以上収容されていると言われています。テロリストは犯罪で逮捕された「犯罪者」ではないし、テロリストは国家ではないので「捕虜」にもなりません。

かくして当地は、キューバ・合衆国両国の法律はおろか国際法すら及ばない法の特異点、いわばブラックホールのような場所になってしまいました。(1) 自由と民主主義の中枢の国にこのような施設が存在すること自体、いささかグロテスクと言わざるを得ません。

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許される悪はあるのか?

「正義の戦争」の名のもとにこのような悪が許されるのか?

カナダのリベラル派の政治学者・政治家・ジャーナリストであるマイケル・イグナティエフは9.11の後、自由な民主社会を守るため「小さな悪」の必要を訴えます。(2) 「より小さな悪」の肯定。民主主義や人権を守るために民主主義や人権を踏み越える必要性。この非常に危険でセンセーショナルな議論を、彼はしかし慎重に論じていきます。

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彼によれば、私たちが本当に避けなければならない問題とは「悪がより大きな悪へと転落すること」です。だから100人を救うために1人を犠牲にすることは「小さな悪」として肯定されるのです(実際、彼はイラク戦争を人道的介入として正当だと主張しました)。

この議論は一見すると単純な功利主義に見えますが、興味深いのは彼がやむを得えず生まれる被害をたんなる「危害」ではなく、あえて「悪」と表現していることです。なぜ「小さな悪」なのでしょう。彼は理由を次のように説明しています。

「悪(evil」という言葉を用いる意図は、個々人の尊厳を前提とするいかなる社会においても、秩序維持には道徳的リスクの諸要素が本来的に備わっていることを強調するためである。(3)

イグナティエフは「小さな悪」を肯定し、それがもたらす過誤や犠牲は不可避であるとしながらも、しかしそれは道徳的には間違ったことだと言うのです。

だから道徳的な最悪を避けるには、対テロ戦争においても相手を人権をもった人間として扱い、したがって戦闘員/非戦闘員の区別とか拷問の禁止といった戦争の基本的ルールが守られなければならないわけです。

新しい「人間」のカテゴリー

しかし、実際に対テロ戦争やグアンタナモで行われたことは「小さな悪」以上の悪でした。

17世紀のウェストファーリア条約以来、戦争とは国と国とが対等の関係として行う「正当な」暴力の行使になりました。(4) だから無制限の殺戮とか無用の被害は極力避け、ほどほどのところで手打ちをしようという動機の働く余地ができたわけです。

ところが、テロリストは国家ではないので無制限の暴力が許容されます。つまりテロリストの殺害や拠点の破壊は、テロに勝利するための「手段」ではなく、破壊と殺戮自体が「目的」になるわけです。(5)

しかし、他方このような意見もあるかもしれません。「たとえテロリストであっても人間なのだから人権は保障されるべきだ」と。また、イグナティエフも道徳的リスクは顧みられるべきだという議論でした。まったくその通りでしょう。ですが、テロリスト(被疑者)に対して現実には「小さな悪」ならぬ「巨大な悪」が許されてしまっています。なぜか。

それはテロリストが人間ではないからです。ホッブスは人間同士の争いの抑止と平和の基礎づけとして、すべての人が持ってるもっとも基本的な欲求「自己保存の欲求」に依拠しました。(6) つまりどんな人間も「個としての生存への執着」を持っているはずであると。

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ですが、これに当てはまらない存在が現れます。それがテロリストです。「テロとの戦い」の本質は、生存の欲求を持たない存在を「非-人間」として括り出し「あらゆる権利をもたず、殺してもよい人間」という恐るべきカテゴリーを作り出してしまったことです。(7)

イタリアの哲学者 G.アガンベンは、そのような、あらゆる法の埒外へと排除され、殺害しても罪に問われない存在のことを「ホモ・サケル(聖なる人)」と呼びます。現代ではテロリストこそ、まさしくこの「ホモ・サケル」に他なりません。(8)

許される悪とその敵

「スーサイド・スクワッド」では、中盤、プロジェクトを指揮する政府高官のアマンダ・ウォーラー(ヴィオラ・デイヴィス)が、じつは誰よりも悪であることが判明します。彼女は目的のためなら部下の殺害も躊躇せず、「ヴィラン」のことも単なる使い捨ての駒としか見ていません。

イグナティエフは、拷問のような非人道的な悪は絶対に許されないことだと主張します。なぜなら、それは、人間が使い捨ての消耗品に過ぎないという、国家の究極的な表現であり、民主的な社会の構成と相容れないからです。(9) 

とすれば、ウォーラー(米国政府)もまた、テロリストに負けず劣らずの悪(エヴィル)であるということになるでしょう。さて、ではいまや正義が通用しない敵に直面した私たちは、かれらにどう対応すればよいのでしょうか。

(1)
唯一米軍軍法のみが適用される。かねてより人権侵害であるという批判がありオバマ大統領が施設の閉鎖計画を提出しているが、実行されるかどうかは不透明である。
(2)
M.イグナティエフ、添谷育志・金田耕一訳『許される悪はあるのか? ―テロの時代の政治と倫理』風行社、2011年、を参照。なお、イグナティエフはこの本においてグアンタナモ収容所について直接論じているわけではない。
(3)
イグナティエフ、前掲、55ページ。なお強調は筆者。
(4)
C.シュミット、新田邦夫訳『パルチザンの理論―政治的なものの概念についての中間所見』筑摩書房、1995年、を参照。また、拙論「カール・シュミット『パルチザンの理論』:「正しい戦争」はあるのか?」京都アカデメイアblog、2015、を参照。
(5)
ここにはテロリストと対テロ戦争遂行国家とのあいだの奇妙な相似形的関係が見られる。
(6)
これについては連載 第3回「永遠平和のために ③:なぜ国家だけが戦争できるのか?」2016、を参照。
(7)
西谷修『戦争とは何だろうか』筑摩書房、2016年、を参照。西谷によれば、西洋がはじめて出会った自己の生存に固執しない他者は太平洋戦争の日本軍であった。ニューヨーク(2001年)、パリ(2015年)そしてブリュッセル(2016年)のテロ事件の際にも「カミカゼ」という言葉が飛び交った。
(8)
グアンタナモに関するアガンベンの指摘は次の通り。「ブッシュ大統領の「軍事命令」の新しさは、一個人についてのいかなる法的規定をも根こそぎ無効化し、そうすることで法的に名指すことも分類することも不可能な存在を生み出した点にある。アフガニスタンで捕らえたタリバーン兵士たちは、ジュネーブ条約にもとづく「捕虜」(POW)についての規定を享受できないだけではなく、アメリカの法律にもとづいたいかなる犯罪容疑者としての取り扱いも受けることがない。[…]これと唯一比較が可能であるのは、ナチスの強制収容所においてユダヤ人の置かれていた法的状況である。[…]グアンタナモの拘留者において剥き出しの生(vita nuda)はその最大級の無規定性に到達している」 G.アガンベン、上村忠男・中村勝己訳『例外状態』未来社、2007年、12頁、を参照。
(9)
イグナティエフ、前掲、295頁。

 
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