いよいよ自宅の本棚がいっぱいになってきたので、年明けにスペース削減を見込んでkindleを購入しました。
私が持っている本はほとんどが研究に使うもの。
なので、今回はAmazon.comの電子書籍&端末が研究用途として役に立つのか紹介したいと思います。
浅野です。
2016年は毎月新刊本の書評をアップできたらなと思っています。1月の新刊本からは、北条かや『本当は結婚したくないのだ症候群』を選びました。どこまで理解できたか甚だ心もとないのですが、がんばって書いたので、よろしければ以下のリンク先から読んでみてください。
先日21日に、10年ぶりにオープンした丸善 京都本店に行ってきました。
京都における丸善は、1872年(明治5年)に「京都支店(丸屋善吉店)」として開設され、その後一度閉店した後、1907年(明治40年)に三条通麩屋町に再開設されました。
http://www.junkudo.co.jp/mj/news/detail.php?news_id=77
丸善は、梶井基次郎の小説にも登場することで有名で、2005年に閉店した時には、小説の内容にちなんでお客さんが”レモン”を置いていったそうです。
先日の記事でも紹介しましたが、宗教者や宗教団体が、原発や憲法などの、公共的な問題について発言する機会が増えてきているような印象を受けます。
たとえば、
九州電力川内原子力発電所の再稼動に関する声明-いのちは生きる場所を失っては生きられない/東本願寺
公明党の支持母体である創価学会でも政治的な声が高まっているということで大きなニュースになりました。
公明党“板挟み” 首相の70年談話で創価学会「安保反対」が加速/日刊ゲンダイ
さて、さしあたりこのエントリで考えたいことは、それぞれの政治的な争点の中身ではなくて(それぞれの立場からさまざまな意見があると思います)、宗教者や団体が公共的な意見を表明することの意味についてです。
宗教者はときとして、市民というよりむしろ”宗教者”として公共圏に現れることがあります。その場合、彼(女)は、自分が持っている宗教心や信仰にもとづいた意見を求められることになります。そこでポイントになるのは、宗教的な信仰から、それぞれのテーマに対する”主張”と”理由”を提示できるかどうか、です。
お寺や仏教のポピュラーなイメージといえば、お葬式や年末の除夜の鐘、あるいは仏像などの美術品なのではないでしょうか。
他方で、社会や政治のような公共的な問題にはあまりタッチしないという印象もあります。
この本は、2013年に京都 本願寺で開催されたイベントとテーマごとの論考をまとめたものです。他の白熱教室と違う特徴は、議論の参加者のほとんどが僧侶だということです。
「8月15日の終戦の日がお盆の日と一致してるって出来過ぎじゃないか。」
たしかに、あらためて言われてみると不思議な感じもします。
本書はメディア史研究の視点からその謎を解き明かしています。
続きを読む
しかし、ここにはもう一段深い問いが含まれているように思われます。それを理解するには、フーコーの議論が手がかりになります。